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日本語ジャーナル:日本語を「知る」「教える」

日本語教師プロファイル笈川幸司さん―ポジティブフィードバックで「謎の自信」を育てる

今回の「日本語教師プロファイル」では、長く中国で教えられ2019年にはNewsweekの「世界が尊敬する100人の日本人」にも選ばれた笈川幸司さんにお話を伺いました。現在は活動拠点を日本に移し、日本語指導のみならず教材開発、教師研修、講演会等お忙しい日々を過ごしていらっしゃいます。独自のメソッドの肝についてもお聞きすることができました。

漫才師を諦めて日本語教師に

――日本語教師になったきっかけから伺えますでしょうか。大学時代にかなり海外へいらっしゃっていたとか。もともと海外に興味があったのでしょうか。

実は、高校を卒業するまでは海外に行ったことがなくて、興味もなかったのですが、大学一年の冬、家族と香港を訪れたときに、自分の語学力の低さに度肝を抜かれました。現地で「Thank you」と言われても、返事ができませんでした。それまで6年間も英語を勉強してきたはずなのに……。それが悔しくて、大学4年間、英語の勉強に取り組みました。アルバイトでお金を貯めては、休みのたびに海外へ行くという生活を送りました。

――大学のご専攻は?

教育学科で、ペスタロッチの思想に惹かれました。しかし、小学校三年生の頃から「お笑い芸人になりたい」という夢があって、その道を選びました。挑戦し始めたのは27歳のときです。高校時代は頭の回転が速いと言われましたが、(余談ですが、文化祭ではクラスの出し物が「笈川幸司ショー」でした)27歳でいざ始めてみると、勢いもなく、漫才師として芽が出ませんでした。

――中国に渡られたのはどうしてですか。

大学卒業後、語学留学で北京に行きましたが、学校には通いませんでした。夕方に起きて、会話の練習相手のところをいくつも回る、そんな毎日でした。また、試験対策について良い方法を教えてくれた韓国人の友人のおかげで、HSKのリスニングは満点でした。学校には通わなかったものの、中国語は自然と身につきました。その頃、お付き合いする女性もいて、「このまま中国に残りたい」と思いましたが、日本に戻ることにしました。

帰国後は、もがき苦しみましたが、何をやってもうまくいかず、それならばと、もう一度中国に行き、彼女と結婚しようと決意し、再び中国へ渡りました。しかし、あっさりと振られました。

そんなとき、現地でお世話になっていた方から「日本語教師をしてみてはどうか」と声をかけていただいて、北京の私立大学で日本語を教えることになりました。

多くのスピーチ大会優勝者を指導

――北京で教え始めてからはいかがでしたか。

資格も経験もなく、しがみつくものもなかったので、「すべてを手放してもいい」という覚悟で、思い切って取り組めました。それが良かったのか、日本語の授業は驚くほど楽しく感じられました。

当時、他の先生方の授業も見学させていただきましたが、多くの授業は、教師が一方的に説明し、学生はそれを黙って聞くというスタイルでした。それは、かつて自分たちが受けてきた英語の授業とよく似ていました。

――笈川先生と言えば、多くのスピーチ大会優勝者を指導されていることで有名だとおもうのですが。

優勝した学生たちは注目を集めましたが、私は表舞台に立つ側ではなく、芸人のネタ見せオーディションで審査をする裏方の放送作家のような立場でした。

授業でも、学生が主体的に話せる環境をつくって、私はほとんど前に出ませんでした。毎回、2人が司会を務め、5人がスピーチを行い、残りの学生がディスカッションをしながら審査をする、という形です。

その様子を教室の後ろで見守り、最後に司会者から「それでは先生に総評をお願いします」と言われて、のこのこ前に出ていきます。そして、チャイムが鳴る中で、「皆さん、今日はお疲れ様でした。とても良かったです」と一言伝える。それが私の役割でした。

もっとも、放課後は夜12時を過ぎるまでスピーチ特訓。特訓に次ぐ特訓を繰り返していました。そうした日々、90分授業ではほとんど話さないというスタイルを、2011年に日本語講演マラソンを始めるまで、10年間続けました。

人の話を笑顔で聞く練習から

――そういうスタイルの授業を初めからなさっていたのでしょうか。

最初から今のスタイルだったわけではありません。清華大学に移った当初の半年間は、私が一方的に「ペラペラしゃべる授業」でした。それで、優秀教師賞をいただきましたが、肝心の学生たちは上達しませんでした。そこで、これはまずいと気づき、授業のやり方を変えることにしました。

ちょうどその頃、あることにも気づきました。発表授業で、学生たちは他の人の発表を聞かず、自分の順番が来るまでこっそり練習をしていました。まずいぞ! と思って、まずは「人の話を聞く訓練」から始めました。眉を上げ、目を見開き、笑顔でうなずきながら聞く。発表が終わるたびに拍手の練習。そしてまた笑顔で聞く練習――その繰り返しです。聞き手の態度が話し手の気持ちを引き上げて、クラス全体のスピーチ力が伸びていきました。

最初は私が司会(MC)を務めましたが、5週目か6週目あたりで、クラスで一番発言の少ない学生を司会に抜擢しました。すると、その二人が驚くほど練習を重ね、見事にやってくれました。それを見た他の学生たちも、「あの二人ができるなら、自分たちもできるはずだ」と感じて、クラス全体に変化が生まれました。

――教材はオリジナルで?

清華大学の学生は、英語教育においてもエリートです。そこで私は、英語教育で用いられている「型」を参考に、学生たちと相談しながら独自の形を作り上げていきました。「型」は英語から、「日本語楽譜」は中国語のピンインをヒントにしました。それと、教科書の日本語は教室の外では使えない場面が多いので、「教科書日本語」だけでなく、友達と話すための「友達日本語」、先輩や目上の人に対する「丁寧日本語」も取り入れました。これらのセンテンスを5回ずつ音読することで、学生たちは次第に流暢に話せるようになりました。同時に、「教科書日本語」も定着して、結果として筆記試験にも強くなりました。

成果としては、N1の合格率が67%から100%へと上がって、平均点も当時400点満点中360点以上になりました。その後、北京大学での経験を経て再び清華大学に戻り、講演などで中国各地を回る中で、OIKAWAアプローチの基礎が徐々に形づくられていきました。

日本に帰国、様々な仕事を

――日本に戻ってくることになったのはどうしてでしょうか。

最も大きな理由は、コロナの影響です。私の仕事は、多くの人が集まることを前提としています。例えば講演会では、通常でも200人、多いときには1,000人ほどが参加します。また、夏休みや冬休みに行っていた「特訓クラス」でも、200〜300人が集まり、10日間にわたって集中的に会話練習を行っていました。しかし、こうした活動が難しくなったため、2021年に帰国することになりました。

――日本に戻ってからはどのようなご活動を?

帰国後は、仕事を選ばず、いただいた依頼にはできる限り応えるようにしてきました。中国にいた頃は、日本語を教える対象は中国の大学の日本語学科の学生に限られていましたが、帰国後は、オンラインで南アジアや東南アジアの学生を対象に、就職支援や内定者研修などにも取り組むようになりました。

当初は、「中国人にしか通用しないのではないか」と言われましたが、実際にやってみると、国や地域に関係なく通用することに気づきました。

それから、子ども向けのスピーチ指導や、小学校・中学校・高校、日本人大学生を対象とした講演会や小中学校の教員向け研修など、中国にいた頃にはできなかった分野にも挑戦しました。

現在は福島県広野町に住んでいますが、復興庁主催の中国人大学生向け勉強会や、作文コンクールの運営にも携わりました。ちょうどALPS処理水の放出が始まる前の時期でした。

日本語教師向け研修で気づいたことは

―― 外国人に対する日本語教育だけでなく、日本語教師向けのセミナーもたくさんなさっていますよね。

はい。昨年3月から半年間、日本語教師を育成するプロジェクトを行いました。今年も4月から、月に一度のペースで一年かけて、じっくり進めていこうと考えています。その中で、一つの問題というか、大きな気づきがありました。私は、ポジティブフィードバックを大切にしています。たとえ発音がまだ整っていない学生であっても、「本当に日本語が上手ですね」と声をかけると、モチベーションが高まり、どんどん上達していきます。教育の分野でも、相手の明るい未来を信じて言葉をかけることで、能力が引き出されるという報告があります。

しかし、多くの日本語教師は根が正直です。そのため、まだ上手ではない学生に対して「上手だ」と言うことに抵抗を感じてしまうという現実があります。そのほか、褒められた学生が急激に伸びていく様子を見たとき、どこか割り切れない感情を抱いてしまうこともあるようです。

どの先生も、「学生が上達するならやりたい」とおっしゃいます。しかし同時に、「あまり努力していないように見える学生がすぐに上達することを、どこか受け入れがたい」という心理が、私たちの中にあることにも気づきました。

私たち自身が受けてきた教育には、「努力や我慢に耐えた人が成果を出す」という成功体験が刻まれているからかもしれません。こうした背景を考えると、「まだ上手ではない人を心から褒める」という行為は、想像以上に難しいものだと感じました。そこで私は、AIアバターアプリの開発取り組むことにしました。

OIKAWAアプローチの肝は?

――これからは、そのアバターアプリの開発に力を入れていきたいということでしょうか。

はい。現在開発中なのは、学習者の発話に点数をつける「日本語スピーチ判定アプリ」と、AIアバターがポジティブフィードバックを行うアプリの2つです。スピーチ判定アプリでは、「答え・理由・エピソード」の型を使って、60秒間流暢に話し続ける力を身につけることを目指しています。一方、AIアバターアプリは、私の指導を再現したアバターの様子を、日本語教師の方々に学んでいただくことを目的としています。

多くの先生方からは「笈川先生の真似はできません」と言われることがあります。しかし、AIアバターは、私以上のクオリティで再現できるので、そのモデルを見て、実践に取り入れていただきたいと思っています。

また、2023年からは講演活動も再開して、再び世界を飛び回るようになりました。今年1月には、中国・山東省の日本語トレーニングセンターで日本語教師研修を実施しました。今後は、インドネシアのジャカルタやベトナム、カンボジアなどでも研修を行う予定です。山東省のトレーニングセンターでは、中国人教師7名、日本人教師2名が、OIKAWAアプローチ授業へと切り替えました。

――そのOIKAWAアプローチの肝はどんなところでしょうか。

大切にしているのは、ポジティブフィードバック、話し続けるための「型」、反復音読、そして成功体験の可視化です。文法やアクセントに多少の誤りがあっても構いません。まずはリズムよく、流暢に話すことを重視します。教師はポジティブフィードバックに徹します。すると、学生たちは自分で問題点に気づき、自分で修正していくようになります。例えば、ベトナムの学生5人に指導していたとき、「先生はとてもジャサしい(優しい)です」と言われました。私はその場で発音の誤りを指摘しませんでしたが、3ヶ月後には自然と正しい発音になっていました。「謎の自信=自己効力感」が身につくことで、人は変わっていきます。

――初めから発音の問題や文法の間違い指摘しなかったのでしょうか。

指摘したこともあります。間違いをその場で指摘すれば、確かに一時的には直ります。しかし、ほとんどの学生は自信を失い、次第に話さなくなって、最終的には日本語学習をやめてしまいました。そこで私は、「細かい指摘はやめよう」と考えて、発音や文法に多少の誤りがあっても、自分の思いを自分の言葉で話してもらうことを大切にするようにしました。

もし教え子たちに堂々と話せるようになってもらいたいなら、教師はあえて問題点をスルーして、受け止める姿勢も必要です。これは、日本語教師にとって一つの大切な努力、大切な工夫です。

――「型」を重視するというのは、漫才をされていたことの影響はあるでしょうか。漫才には、「オチ」とか型がありますよね。

間違いなく影響はあると思います。例えば、上司や先生に説教をされたとき、今の若い人たちはただ黙って聞いているだけになりがちです。その結果、説教がどんどん長くなってしまいます。もし毎日40分も説教を受け続けたら、三日で心が疲れてしまいます。しかし、そこで「本当に申し訳ありませんでした。いつもご指導ありがとうございます。これからも厳しいご指導を、よろしくお願いいたします。」と伝え、10秒ほど頭を下げるだけで、説教が1分で終わります。こうした「型」を知らないために、必要以上に長く叱られ、傷ついてしまうケースも少なくありません。中には、わずか数日で会社を辞めてしまう人もいます。「型」を身につけておくことで、不要なストレスや嫌な経験を減らすことができます。

新人教師はぜひSNSを

――これから日本語教師になりたい人にアドバイスをいただければと思います。

かつては、日本語教師が力で学生を管理・コントロールするような指導が許されていた時代もありました。しかし、これからはそうしたやり方は通用しなくなっていくと思います。今後は、誰が話しても安心できる教室づくりが、ますます重要になるはずです。例えば、遅刻してきた学生に対しても、先生やクラスメイトが「大丈夫だった?早く座って。待っていたよ」と声をかけ、拍手で温かく迎える。そうした雰囲気のほうが、学びにとっては間違いなく良い影響を与えます。

そしてもう一つ、新人の先生方にはぜひSNSを活用してほしいと思います。SNSに触れていないと、世の中の感覚や変化が見えにくくなり、「何を言ってよいのか」「何を書いてはいけないのか」といった感覚が少しずつずれていきます。その結果、気づかないうちに他者への配慮が欠けたり、冷たくなったり、距離感を誤ったりすることもあるかもしれません。日々発信を続けていると、「これが炎上か」「この表現は適切ではないのか」といった感覚が自然と身についてきます。その理解が深まるほど、人に対して優しくなり、傷ついた人の気持ちに寄り添う力や、問題点を受け流す力、人との適切な距離の取り方も身についていくはずです。

10年後、明るい未来にいるあなたのためにも、SNSでは格好をつけた自分ではなく、本当の自分を発信していくことをおすすめします。

取材を終えて

笈川さんにお話を伺って、やはりお笑いの道を志していただけあって、人を笑顔にすること、人の機嫌をよくすることに長けていらっしゃるのではないかと思いました。

笈川さんは日本語教育を通して、国と国、人と人をつなぐ「架け橋」を広げていきたいと考え、「大森杯・『日本語作文・スピーチ』世界大会」も主催されています。世界中の学習者が自分の言葉で思いを伝える機会を増やしたいとのことです。

「大森杯・『日本語作文・スピーチ』世界大会」(オンライン開催)応募要項
※応募期間 2026年4月1日 ~ 2026年5月31日

取材・執筆:仲山淳子

流通業界で働いた後、日本語教師となって約30年。9年前よりフリーランス教師として活動。