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日本語ジャーナル:日本語を「知る」「教える」

日本語教師プロファイル・アリョーナさんスザンさんご夫妻―日本語教育に携わって約30年 

今回の日本語教師プロファイルでは初めて外国人日本語教師のお二方にご登場いただきます。モンゴル出身のバートル・アリョーンツェツェグさん(アリョーナさん)とネパール出身のシュレスタ・スザン・バハドゥルさん(スザンさん)ご夫妻です。お二人は26年前に国際交流基金の海外日本語教師研修に参加し、さいたま市浦和区にある日本語国際センターで出会ったそうです。現在は家族で日本在住のお二人に、日本語教師としての道のりをお聞きしました。 

モンゴル、ネパール、それぞれの国で日本語教師として歩み始める 

――日本語教師になろうと思ったきっかけを伺いたいのですが。 

アリョーナ:大学入学当時、モンゴルでは外国語ブームがあり、私も初めは英語を学ぼうと思っていました。でもほぼ全員英語を選ぶので、親に「もう少し違う言語にしたら」と言われ、じゃあ日本語にしようかなと。日本とモンゴルの教育交流、文化交流などを中心とした友好関係もありましたし。大学を卒業する頃に、モンゴルの外国語中学校である国立第23番学校※で日本語教師を募集しているので行きたい人? という呼びかけがクラスであったんです。もともと子どもが好きだったこともあって、私が一番初めに手を挙げました。 

それで、その第23番学校で日本語を教え始め、その時に星子先生(現アルク)と出会いました。一緒に日本語を教え、いろいろ勉強させていただきました。生徒は6歳から17歳までいたので大変でしたが、楽しかったです。 

――そうだったんですね。スザンさんはどうですか。 

僕の場合は、日本語教師になろうと思っていたわけではないんですが、ネパールも日本から援助を受けていて、日本人の観光客、特に山が好きな人が多かったんです。私も日本語を勉強したいと思って、ネパールで一番歴史の長いカトマンズ日本語学校に入りました。2年間のコースを勉強して、卒業する時、たまたまそのレベルの1位になりました。そうしたら、その学校で教えてくれませんかと言われて、教え始めました。28年ぐらい前です。

今と違ってネパールで日本語を勉強する人は日本に留学や就労が目的ではなく、国内で日本人向けのガイドやホテル等観光の仕事に就く人がほとんどでした。私も日本語を教えながらガイドも仕事もしていました。

 

浦和での出会い 

――それから国際交流基金の海外日本語教師研修に参加することになるのですね。 

アリョーナ:はい。大学の友人で日本に留学する人がいたり、また第23番学校でも子どもたちが日本へ行ったりしているのを見ていて、私も日本へ行ってみたいと思っていました。しかし、とても自費で留学するようなお金はありません。そんな時に星子さんがこの研修を勧めてくれて、提出書類の作成など何から何まで手伝ってくれました。本当に感謝しています。 

――浦和ではどのような研修を? 

スザン:私たちの時までは9か月間の研修でした。その後は6か月間になったそうです。33か国58人の外国人日本語教師が参加し、前半は日本語のブラッシュアップ、後半はほとんど教授法で、模擬授業をやったりしました。 

――そこでお二人はカップルになるわけですが、初めて会った時の印象はどうでしたか。 

アリョーナ:初めは彼に全く気付いていなかったです。クラスがA,B,C,Dとあって、私は真ん中のクラスでした。6か月目ぐらいからみんな仲良くなって、娯楽室で卓球をしたりしました。その時に、よく笑う人だなという印象でした。 

スザン:モンゴルからの参加者が3人いましたが、その中では彼女が一番目立っていました。でも仲良くなったのは6か月過ぎてからだったので、研修が6か月で終わっていたら付き合うこともなかったかもしれません。(笑い) 

ネパールで結婚、再び日本へ 

――研修が終わってからはどうされたのですか。 

スザン:それぞれ自分の国へ帰りました。私はまた日本語学校とガイドの仕事に戻りました。 

アリョーナ:私は家庭の事情で日本語は教えていなかったのですが、彼からネパール行きのチケットが送られてきて。それでネパールに行きました。その後、一旦モンゴルに戻ってから、またネパールへ行き、結婚しました。そしてカトマンズの日本語学校で日本語を教えました。 

――アリョーナさんは、その後、再び日本へいらっしゃったそうですが。 

アリョーナ:はい、九州にある日本語学校に留学しました。カトマンズの日本語学校で周りにいた日本語教師は勉強熱心な方が多く、自分はこのままじゃ足りないと思いました。それに日本語教師をこのまま続けたい、他の仕事はしたくないという思いもありました。それで彼の知り合いの日本語学校に留学生として入学しました。実はその学校には420時間の養成講座もあって、そちらでも勉強することができました。

日本語学校卒業後は佐賀大学の大学院に進み、第二言語習得について研究しました。ここでの経験は本当に貴重で、これがなければ今まで気持ちよくこの仕事を続けられなかったかもしれません。 

――その後、ネパールに帰国されたのですか。 

アリョーナ:いいえ、それが知り合いの社長から自分のところで働いてくれないかと頼まれて。千葉県にある留学生支援の会社で、ちょこちょこ日本語を教えたり、就職支援をしたりしていました。夫の知り合いの会社だったので、夫にも来てもらって二人で日本にいたのですが、娘が生まれたのでネパールに戻りました。 

――アリョーナさんは、日本の中でも浦和、佐賀、千葉といろいろな場所に住んでいますね。新しい場所で生活するのにあまりストレスは感じないほうでしょうか。 

アリョーナ:そうですね。どこでもすぐ寝られますし、どこの料理でも食べられますし、あまり違和感を感じずに楽しめます。最初にネパールに行った時も、彼が仕事に行ってしまうと1人で、言葉も分かりませんでしたが、怖いとかストレスとかを感じることもなかったです。 

それに日本では、周りの方が本当に優しく接してくれたので、早く生活になじめました。 

オンラインでモンゴルやネパールなどの子ども、その保護者をサポート 

――そして次には2013年に日本に戻られ、現在まで日本で暮らしているのですね。2013年からはどのような活動を?

スザン:はい、以前の会社に呼ばれて、娘の下に生まれた息子も一緒に、家族4人でまた千葉に引っ越してきました。娘が3歳半、息子が9か月の時です。それからはずっと日本に住んでいます。私はその会社が経営する専門学校、日本語学校で、日本語と英語を教えたり、事務の仕事をやったりしていました。

2017年には独立して学生支援と学生紹介の会社を作りました。コロナの時は辛かったですね。仕事がなくなったりして。しかしその後、技能実習生と特定技能の受け入れをする会社とつながり、ネパールで新たに送り出しの学校を作りました。今は日本とネパールを行ったり来たりして活動をしています。 

――アリョーナさんはいかがでしょうか。 

アリョーナ:私の方は2019年まで専門学校で非常勤講師として働いていたのですが、コロナで教師が減らされて。そんな時に技能実習生の日本語研修をやっている機関からオファーがあって、つい最近までやっていました。ただ、これからは夫のネパールの学校も手伝ったりしながらも、個人の活動として、オンラインで教えていきたいと思っています。

私は今、オンラインで子どもや、その保護者に教えています。特に家族の都合で急に日本に来てしまった子どもたちは、日本語が話せない、友達ができない、勉強ができない、そんな子どもたちの手助けをしています。この辺りにモンゴルの子どもが来日するとすぐうちに来ちゃうんです。日本語を教えてくれませんかと。そのお母さんたちも、まず学校の書類が読めないし、何が必要かも分かりません。今は、そういう親子の手伝いをしたいです。組織に属さず個人でやりたいと言ったのは、このようなことをやりたいからです。 

二人それぞれの夢 

――これからやっていきたいことはありますか。 

スザン:そうですね、ネパールの教師のレベルを高めること、それから来日する人の来日前の日本語レベルを高めること、そんなことを頑張っていきたいと思います。 

私もずっと日本語教師をしてきたので、ネパールの日本語教師を育てることをしたいです。ネパールでは日本語教師はまだまだ少なく、JLPTのN1を持っている教師はほとんどいません。私の学校にはN1の教師が1人、N2の教師が1人いますが、あとはN3です。そういう教師たちに私がオンラインで日本語の教え方を教えたり、アリョーナが教えたりしています。 

それから今、留学や技能実習、特定技能で日本に来ようとしている人たちには、現地でしっかり勉強してから来てほしいと思っています。勉強しないで来日して、こっちに来てから、日本語が分からない、アルバイトも見つからないと困っている子が多いんです。ですからネパールで、来日前の学習が大切だということをオリエンテーションなどで伝えて回りたいと思います。しっかり日本語を学んで来日すれば、いろいろチャンスがありますよと伝えたいです。 

アリョーナ:先ほどオンラインでモンゴルやネパールなどの子どもや、その保護者に教えたり、手伝いをしたりしていると話しましたが、最近考えたのは、どうせならアフタースクールみたいなものを作ってしまえば、子どもも親も気楽に来られるんじゃないかなということです。「こうしなさい」ではなく、子どもが来て自分で宿題をする、親も来て学校の書類を一緒に見て、というような環境を作るのが夢です。 

本気で好きにならなければ自分のものにはならない 

――外国人日本語教師の方へアドバイスをお願いします。 

スザン:ネパールのことしか分かりませんが、ネパールでは残念ながら教師自体の日本語レベルが高くないと感じています。日本語教師の方は自分たちもしっかり予習復習、勉強をしながら教えていってほしいですね。 

アリョーナ:まずは外国語を教えたいという人は、その国の文化、習慣を理解する必要があります。そして、それを本気で好きになる。そうでないと自分のものにはならないと思います。自分のものになってしまえば、それを学習者に伝えることはスムーズにできます。そして伝える時には、心から伝える。その気持ちが授業の準備をしたりすることにもつながっていくのだと思います。外国人日本語教師の方には、そうなってほしいです。 

取材を終えて 

今回、このインタビューが実現したのは、アリョーナさんが、モンゴルで自分のティーチングパートナーだった星子さんを探し出したことからでした。息子さんのドッジボールのコーチの関係者がちょうど同じ頃に協力隊でモンゴルにいたことを知り、そこから巡り巡って星子さんにたどり着いたそうで、お二人はなんと26年ぶりの再会を果たしたのでした。なんだか奇跡のようなめぐり逢い、そしてスザンさん、アリョーナさんお二人の高い志に感動しました。 

※モンゴル国立第23番学校:外国語教育に特化した公立学校でモンゴルの日本語教育のパイオニア。1992年からJICAの青年海外協力隊が派遣された学校の一つ。