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日本語ジャーナル:日本語を「知る」「教える」

日本語教師プロファイル深江新太郎さん―外国人住民とどのようなつながりを、どのようにつくっていくか

今回、「日本語教師プロファイル」では日本語ジャーナルの記事でもおなじみの深江新太郎さんにお話を伺うことができました。現在は山口県立大学で教鞭をとりながら、NPO多文化共生プロジェクトの代表として地域の日本語教育の体制づくりにも携わっていらっしゃいます。

はじまりは歴史学から

――日本語教育を志したきっかけがあれば、お願いいたします。

えっと、学部の時は歴史学専攻でイギリスの資本主義社会の成立をテーマに学んでいて、一時期はその道に進もうかと思うほどどっぷり入っていました。世界の仕組みとして、資本主義が発展していく中で、先進国と呼ばれる国が生まれ、発展途上国という地域がつくられる。先進国は発展途上国からの労働力を受け入れ発展していくんだけど、途上国は経済的に未熟なポジションに置かれてしまう。

そんな世界の矛盾を感じた時に、この中で自分にどんなことができるだろうみたいなことを考えたっていうのが、今の取り組みにつながるスタートだったなあとあらためて思います。

そして学部の途中で、大学で学ぶことはだいたい学んだので、大学を辞めて漁師になろうと思って。

――ええっ!

資本主義社会が発展すると人間の生命に関わる部分である第一次産業がどんどん衰退していく。自分は社会の矛盾を感じた時に、学問より行動したいと思って。祖父が漁師だったこともあって、大学の指導教官に置き手紙をして、「辞めます」と。

でも家に戻ると母に「もう船もない」とめちゃめちゃ怒られ、ちゃんと勉強して仕事を見つけてこいと言われ大学に戻りました。しかし結局、世界の動きの中で自分が社会に貢献できる現実的な一歩というのが学部の間はなかなか見つけられませんでした。

そんな時、アメリカ史の先生が日本語教師になるためのガイドブックといった本を運命的に私にくれたんです。あ、今、日本語教師という仕事があるんだということをその時、知りました。

日本語教育能力検定試験に合格した方法とは

――それから日本語教師をめざしたのでしょうか。

いえ、すぐにはなれませんでした。ずっと歴史学をやってきて特に日本語教育について勉強していたわけでもなかったので。卒業後、仕事はしなければならないのでいったんその時点でできることを探し、塾の講師になりました。ただ偏差値の高い高校に行かせることが良いこと、という基本的な前提が受け入れられなくて。精神的に落ち込む中で、塾で講師をしている自分から自分が抜け出し、自分が自分を見るという二重身を経験したことで、塾を辞めました。

これからどうしようと思い、コーヒーが好きだったのでコーヒー屋さんでアルバイトしながら日本語教師を目指すことにしました。ただその当時、時給680円くらいの生活だったので、養成講座や通信教育をうける余裕はありません。自学で日本語教育能力検定試験の合格しかないと思い、昼休憩の時に食事を10分で済ませて、近くの書店に行き、残りの50分で日本語教育コーナーの本を順番に読んでいきました。ちょうど検定試験のシラバスが変わった時で、自分としては興味がある分野だったのでこれはいいタイミングだと思いました。

その後、大学の図書館に行き、検定試験のシラバスを見ながらキーワードを検索し、それに関する本を全部ピックアップして、片っ端から読んでいくという方法で勉強しました。それで試験に合格し、翌年の4月に福岡市内の愛和外語学院に専任教師として採用されました。そこに20年、勤めることになりました。

日本語学校を地域に開く

――日本語教師としてのスタートは日本語学校なのですね。

はい、2011年に教務長となり、日本語学校を地域社会に開いていくということを、大きなテーマとしました。日本語学校が地域に閉ざされていると、結局、留学生も地域と接点が無いまま学校と家とアルバイトの行き来になります。また日本語学校の社会的地位も向上しません。それで、例えば小学校とか大学とか商店街とか、色々な人達と一緒に取り組んだことを、学習発表会で発表するという形で地域との取り組みを具体化していきました。それから、たぶん日本語学校で初めてだと思うのですが、教科書として『できる日本語』を採用しました。

――それはどういう経緯で?

学校のコアメンバーで、もし教科書がなかったら、どんな授業展開をやるかということを話し合った時、その考えと一番合う教材を採用しようとなりました。それが『できる日本語』でした。また地域とのつながりの部分も合っているので。

日本語学校と並行して地域日本語教育を

――地域日本語教育での活動は日本語学校と並行してということなのですね。

日本語学校の職員の中にイスラム教徒の方がいました。彼からイスラム教徒には宗教上の行動規範があり、それを伝えられないため地域社会の中で自分のやりたいことを実現させられない人がいるという話を聞いた時に、ここに日本語教育の大きな役割があるんじゃないかと考えたんです。それで文化庁の委託事業として、「イスラム教徒のための日本語教室」を福岡マスジドと連携して実施して、地域に関わり始めました。

そういうふうに地域に関わる中で、自分自身のテーマとして地域社会における日本語教育が広い意味での共生というところと大きなつながりを持ってくるだろうと考えました。言語を教えることよりも、社会をどうつくっていくのかということに、私自身の関心があることを感じた時に、地域の日本語教育に携わって、市民活動をバックアップしていきたいと思い、2016年に「NPO多文化共生プロジェクト」を立ち上げました。

多文化共生プロジェクトは「ゆず方式」

――多文化共生プロジェクトは、何人かのメンバーもいらっしゃるのでしょうか。

コアメンバーは代表の私と副代表の二人です。どうやってプロジェクトを立ち上げようかと思った時、「ゆず方式」を取ることにしました。音楽グループの「ゆず」の二人は、リーダーとサブリーダーという役割を持ち、それぞれの得意分野を生かしながら、対等な関係で「ゆず」を運営していると聞きました。そして「ゆず」の歌に共鳴してくれる人達がファンとなって集まってくる。私たちが団体を立ち上げるとき、この「ゆず」の在り方がいいなと思いました。リーダーとサブリーダーが対等に話し合い、指針を決め、得意分野に応じた役割を持つ。そして、その指針と取り組みに共感してくれる人達が、その都度集まってくるようなものが一番柔軟性が高いんじゃないかと。それでいろいろなプロジェクトごとに違ったメンバーが集まるという形になっています。

その取り組みの中で注目されたのが、福岡県の体制づくり事業 です。技能実習生を雇用している企業と行政、日本語教師、そして地域住民が絡む教室が立ち上がりました。地方公共団体が中心となった教室づくりをサポートする中で、日本語教師への謝金を複数の企業が出していくというスキームができました。

――日本語教師の活躍の場の一つとして地域があるということですね。

地域に関わる中で住民の人たちの活動をサポートするとともに、地域における日本語教師のキャリア形成を行いたいという思いが根っこにあります。日本語教師が地域できちんとお金をもらってやれるという枠組み作りです。

――日本語教師が地域に関わる時、プロの教師であってもボランティアで、となってしまうことが多いですが、報酬を得られる道があると地域に取り組みたい人にも希望が見えますね。

はい、日本語教師だからこそできることを明確にした上で、その社会的役割に対して対価をつける、ということを地域においても大切にしています。

『私らしく暮らすための日本語ワークブック』

――ご著書の『私らしく暮らすための日本語ワークブック』(アルク)はどのようにできたのでしょうか。

イスラム教徒の中にはスーパーでチョコレートを買いたいと思っても乳化剤の原材料が動物性なのか植物性なのか分からなくて、結局ネットで国のものを買ってしまう人がいると聞きました。また、てんぷら定食が食べたいと思ってお店に行っても、てんつゆのしょうゆにアルコールが使われているかもしれないので食べられなかった等。日常のいろいろな場面でそういうことが起きている。チョコレートならお問い合わせセンターに聞く、てんぷら定食ならお店の人に聞く、ということができないから、食べたいものを食べるのではなくて、食べられるものを食べていたんです。

しかし行動につながるような言葉の活動が行えれば、その人の日常生活の楽しさが変わってくるのではないか。やりたいことができると自分らしくいられますから、そういう風な教材があるといいんじゃないかなと思ったんです。

実は教材の完成まで約十年かかりました。2011年に実践して、基本的なコンセプトが言語化されるのに約五年。コンセプトをムスリムの人たちから一般の外国の人達全体に広げるのにけっこう時間がかかりました。できる限り教材がきめ細かくというか、一つ一つのステップを実際使う人達にとってやりやすいようにするのに、それから五年ぐらいかかりました。

相手の話を聞くことから

――地域日本語教室で大切なことはなんでしょうか。

相手の話を聞くことです。聞くということができれば既に対等な立場になっている。地域の教室は「教える」ことをどう転換するかがこれまでの課題でした。それを「交流」に変えることが大きな流れになっていますが、実はそれじゃ足りない。交流をしてもこっちがおしゃべりをしてしまうと結局は教えている。文法は教えないけど、情報をいろいろ教えちゃう形になってしまうので、「教える」から「交流」に変えましょうだけでは、実は本質的な転換は起きにくいんです。本質的な転換はどこで起きるかというと、相手の話をいかに聞くのかを身に付けることです。

――現在取り組んでいることと課題と感じていることを教えてください。

日本語学校は2026年3月に退職し、現在、福岡県と福岡市の地域日本語教育の総括コーディネーターを務めています。地域の教室というと中心地に一つ教室があるのが一般的ですが、中心地に一つ教室があったとしてもそこに通えない人もいます。より細かい地域のつながりの形成、各地域に集まれる場をつくっていく必要があるのではと感じています。

各地域に、住民の人たちが集まれる場をつくり、そこに日本語教師がコーディネーターとして入っていく。地域の教室には日本語がほとんど話せない人たちの対応が難しいという課題がありますが、日本語教師なら対応できます。ただ、地域において日本語教師は、住民同士のつながりをどのようにつくれるかを考える必要があります。

どんなつながりがあればよいのか、という問い

――2026年4月に赴任された山口県立大学ではどのようなことを?

技能実習生を受け入れている企業と連携して、地域とのつながりが生まれにくい技能実習生の人たちの社会参加を形にしていこうというプロジェクトを学生たちと共に行っています。学生たちが実習生と日本人従業員にインタビューをします。そのインタビュー結果を基に社会参加、社会とのつながりは具体的にどうすればよいか、を考えていきます。どんなつながりがあったらいいのかを明確にした上で、どのようにつながりをつくっていくのかを考えていきたいなと思っています。

これを考える土台となっているのが、「社会的インフラ」という観点からの研究です。

2018年以降、地理学を中心に「社会的インフラ」に関する研究が広まりましたが、「社会的インフラ」とは人と人のつながりを生む場所や組織、活動を意味します。私は、九州大学で地域日本語教室を「社会的インフラ」として位置づけるという観点から博士論文を書きました。ただ地域の教室に外国人住民を集めるという発想だけでは限界があるのではと感じています。

地域にはさまざまな「社会的インフラ」があります。図書館や体育館といった公共施設だけでなく、商業施設や住民によるサークル活動なども、そうです。このような地域資源を日本人住民だけでなく外国人住民も同じように活用できるようになり、それを通してつながりを形成することが目標なのではないか、と。地域の教室は、外国人住民をこのような地域資源につなぐハブとしての役割を果たしているのではないかと考えています。

熱を感じられる場所にきませんか

――地域日本語教育に関心を持つ日本語教師へのメッセージをお願いします。

地域の日本語教育は仕事として整備された環境ではないというのは事実です。ただ、このフィールドの可能性、伸びしろは計り知れないんじゃないかなと感じています。未開拓の領域で何も整備されていないので、むしろそこを楽しみながら一緒に作っていくっていうことに関心、興味がある方にはすごく面白いと思います。自分でいろいろ動いていかないといけないことは多いとは思うんですけれども。

具体的な働き方としては、地域の教育だけで、生活していくとなると、常勤のコーディネーターぐらいにならないと、なかなか難しいと思うので、日本語学校で勤務しながら、とかフリーランスでやりながら兼業でやって、など自分らしい働き方みたいなものを見つけていくのがよいと思います。

――地域日本語教育に携わる方は、開拓精神がある方で、すごく楽しそうにやってらっしゃる印象です。

私自身、学部時代に感じた社会の矛盾に対し、地域日本語教育を通して取り組めていると感じています。先進国である日本は人口減少が続き、経済活動を維持するために、発展途上国を中心に外国人の受け入れを進めています。ただ彼ら、彼女らは、もちろん一人の人です。その人と人のつながりをどのように考え、どのようにつくっていくのか。難しい課題であることは間違いないのですが、ふつふつとした熱のようなものを感じてます。

山口県立大学の深江さんのページ

深江さんが携わっている研修のご案内
「生活者としての外国人」に対する日本語教師【初任】研修の案内
 

取材を終えて

『私らしく暮らすための日本語ワークブック』を見ると、ひとつひとつのトピックに関して非常にきめ細かにステップが考えられているという印象でしたが、実際にムスリムの方へのサポートを通して生まれたものだと伺い、腑に落ちました。「ゆず方式」もいいですね。