
昨今、生成AIの活用に注目が集まり、今後、日本語教師にとってなくてはならない存在、あって当たり前、になっていくと思われます。ではそんな時代に日本語教師はどう存在していくのか。「人間の教師」でなくてはならない意味とは? そのようなことを最近のテーマとして追及している石原えつこさんに、これからの日本語教師の役割・教室の役割について執筆いただきました。連載第8回目です。
人間の教師の皆さん、こんにちは。
この連載は、生成AIと日本語教育について、生成AIの専門的な知識を得ようと思ったら肩透かしをくらってしまうような連載である。じゃあ一体何をお伝えしているのかといったら、一日本語教師であるわたしの、悩んじゃうよね、困ったよねというつぶやきを通じて、悩んでもいいよね、困ってもいいよね、人間だものということをお伝えする半ば開き直りの姿である(てへ)。知識を得ることも、かっこいいことを瞬時に書くのも、生成AIにお願いできてしまうこの時代、人間の教師に残された役割はあるのかないのか、あるとしたら、なにか、教室はどう変わるのか、ということをぐるぐる徒然なるままに言っちまおうという企画なのである。
第7回目は「人間である日本語教師」の役割とは ⑦それでもわたしは自分で書く
第6回目は 「人間である日本語教師」の役割とは ⑥生成AIが“書くこと”にもたらした劇的変化
第5回目は「人間である日本語教師」の役割とは ⑤日本語教師、生成AIで絵を描く
第4回目は「人間である日本語教師」の役割とは ④教室に生成AIがやってきた!
第3回目は「人間である日本語教師」の役割とは ③交流の場を創る
第2回目は「人間である日本語教師」の役割とは ②身体を持つ人間としての価値
第1回目は「人間である日本語教師」の役割とは ①人間らしさって何?
本日は、「生成AIと心の火」の巻である。
フリーランスの世界に飛び込んでみた
わたしは大学で非常勤講師として日本語を教える傍ら、フリーランスでも教えている。理由は二つ。一つ目は、息子の難病・障害で、フルタイムでどこかで働くことは難しくなり、大学でのキャリアパスをあきらめたから。二つ目は、大学でビジネス日本語を教えるにあたって、「ビジネス」ってなんだろう、と考え、自分でもやってみる必要があると思ったから。
初めて飛び込んだ世界は、知らないことだらけ。出会う人も全然違う。
藪和弥さんは、個人のスキルやノウハウをインターネットで手軽に販売できるプラットフォームMOSHを運営されている。フィットネス、語学、パン教室、コーチングなど約200職種、8万5000名の方が、MOSHを利用して、サービスを提供している。
藪さんによると、たった一人で年商1億円を超える事例がたくさんあるという。そんな人に共通するのは「あの人ではなく、この人から教わりたい!」と名指しで個人が指名されることだと指摘する。そして、この経済の形を藪さんは「指名経済」と定義づけている。
「指名経済」とは、「何を買うか」よりも「誰から買うか」が重視され、顔の見える個人が指名されることを起点とした経済です。(『8万人の講師から学んだ1億稼ぐオンラインスクール』p.4)
そんなMOSHのミッションは「情熱がめぐる経済をつくる」。
MOSHのイベントで初めてそのことばを聞いたとき、自分の胸の鼓動が聴こえるような気がした。
MOSHのロゴは炎。
AIの時代にこそ、人の温度が価値になります(p.15)
そうか。生成AI時代、この「温度」「熱」が人間の持つ強みになるんだ。
誰もが完璧なものを作れる時代、新たな価値になるのは
MOSHを利用する講師たちは、クリエイターと呼ばれる。MOSHのプラットフォームだけでなく、様々なツールを使いこなし、自らSNSの動画などに出演し、世界観を伝える。生成AIも当然のように、息を吐くように使いこなしている。
2026年1月に行われたMOSH Creator Summitで、スペシャルゲストの英語オタクMiyuさんは生成AIの利用についてこんな風に言っていた。「作るほうも、見るほうも、完璧疲れしている」と。
だれもが生成AIで一見完璧なものが作れるようになった。SNSを開けば、プロが作ったような完璧な告知が溢れている。みんな上手で当たり前。では、そんな時代に、なにが届くのだろうか。
藪さんはこう断言する。
AIなどの発達により、正解や正論、理論的な発信の価値が相対的に下がってきています。指名経済の時代には、欠点や失敗も含めた個性こそが価値を生みます。(p.148)
成功と失敗のエピソードをストーリー化し、語る準備をしよう、と藪さんは言う。
失敗? そこにも価値があるの?
成約に至るまでのストーリーを語る
わたしはフリーランス日本語教師のためのビジネススクール「TODA ACADEMY」で、講師もしている。息子の難病・障害が理由で、組織に属してフルタイムで働くことが難しくなったわたしは、自宅でオンラインで仕事をすることに活路を見出したのだが、どうやって始めればいいのか分からず、このアカデミーの門を叩いた。実際にビジネスの起こし方が分かり、商品化もでき、安定的にお客様に来ていただくまでになっている。そして、コース終了時に、お声がけいただき、そのまま講師として残ることに。講座を教えたり、メンターとして、受講生の学びに伴走したりするのだが、学習環境をデザインすることもしている。
その中の一つが、朝の会で行われる「先輩受講生ストーリー」の時間だ。朝型のわたしは、この時間が大好きだが、なかなか来る人がいなくて、廃止がほぼ決定していたところを、わたしが改善を提案し、デザインすることになった。
成約を上げた先輩受講生がスピーカーとなり、その成約までのプロセスを語ってもらう。行き詰まりはなんだったのか。その行き詰まりをどう打破したか。なにがきっかけだったのか。はっとした一言はなんだったのか。
今では、毎回20名近い参加者がいる大人気の時間になっている。聴き手は、スピーカーの行き詰まりに、今の自分を重ねる。そして、その行き詰まりをどう打破したかという話をきき、「もしかしたらわたしにもできるかも」と考える。
わたしの仕事は、ストーリーの組み立て方の手引きを書き、成約が上がった受講生に声をかけ、日程を調整することだけ。当日は、わたしは画面をオフにして、スピーカーがオンラインの場をファシリテートするのをただ見守り、テクニカルなサポートだけ、時々する。そして、最後にフィードバックをする。
壊滅的に英語ができず、しかも学習者も「英語ができる先生がいい」と言っているのに、体験会をしたらご成約になったKさんのタイトルは「英語26点の私が、ゼロ初級の方と成約できた理由」だった。ふふふ、いいタイトルつけてる。英語ができないことにフォーカスしすぎていた自分を脱却し、一番大事なことに気づいたというストーリーだった。「英語ができないので」を枕詞にしていた受講生たちが、そう言わなくなった。
Sさんは、元々保育士だったが、職場から帰宅途中に交通事故に遭い、車いすに。保育士として働くことができなくなったときに、「じゃあ、アメリカ行ってやる!」と車いすで留学、そして自分には、「日本語が話せる」という強みがあることに気づいてしまい、日本帰国後、日本語教師養成講座にすぐに飛び込み、日本語教師になった。彼女のストーリーのタイトルは「できないって決めてたのだあれ?」だった。Sさんは気づいた。「できないと決めているのは、いつも自分」。彼女の会が終わったあと、重い腰がなかなか上がらない受講生たちが一斉に行動を始めていた。
Kさんは、ベテラン日本語教師だ。長年様々な機関で日本語を教えてきただけでなく、公教育の国際理解教育や教師研修の出張授業も 任されてきた。どこへ行っても、誰からも頼られる責任感の強い人。そんな彼女には、誰にも言えないことがあった。それは「本当はそんな実力なんてないのに」と自信がないこと。けれど、立場が上になってしまうのでいつも言い出せなくなって、しまいには組織にいるのが苦しくなってやめざるを得なくなる。弱弱しく吐露する姿。そこには、クールにふるまういつもの彼女の姿はなかった。さらけ出すその勇気。ぴしっとした空気を作る彼女の場に、じんわりと温かさが生まれる。尊敬されるだけでなく、愛される人になった瞬間だった。
ストーリーを聴きながら、いつも思う。人間って、本当に唯一無二だ。それぞれの人生があり、それぞれの行き詰まりがある。そしてその先の光が見える。
このコラムだって、そうだ。生成AIの使い方のテクニックを調べるなら、いくらでも方法はある。
そうじゃない。生成AI時代に、人間の日本語教師であるわたしが、どう悩み、どう歩んでいるかというストーリーを語っているから、連載として成立している。
生成AI時代、欠点や失敗を含めた個性、すなわち「等身大の自分」というものが、人間の新たな価値になる。
だから。人間の日本語教師たちよ、ストーリーを語ろう。
授業に「熱」を起こしているか
「情熱がめぐる経済をつくる」ということばを聞いて胸が高鳴ったそのとき、わたしはこのことばを思い出していた。
The mediocre teacher tells.
The good teacher explains.
The superior teacher demonstrates.
The great teacher inspires.
凡庸な教師はただしゃべる。
よい教師は説明する。
すぐれた教師は自らやってみせる。
偉大な教師は心に火をつける。
ウィリアム・アーサー・ワード
シンガポール時代、研究室のかべに、これを書いて貼っていた。
初めてこのことばを教えてくれたのは、誰だったかな。横溝紳一郎先生だった気がする。理事をつとめるシンガポール日本語教師の会が主催したセミナーで、先生がこのことばをセミナーの最後に教えてくれた。
授業をしながら、いつもこのことばが脳裏にあって、自分はただしゃべっているだけ、説明するだけになっていないかを振り返ってきた。「自らやってみせる」は、意識して取り組んできている。授業で身体を使って実演することはもちろんだが、外国語を学ぶ学習者であり続けるために、いつも英語や中国語などの外国語を学び続けてきた。BJTを教えるのなら、自分もBJTを受験しに出かける。ビジネス日本語を教えるなら、ビジネスをしてみる。
でも、「心に火をつける」がすごく難しい。「火をつけてやるぜ」と意気込んで接っしても、うまくいかない。ただ、時々なにかがかちりとはまって、学習者の心に熱が帯び始めるときがある。いまだにどうやってその瞬間が起きるのか、分からない。でも、その瞬間に立ち会ってしまうと、疲れも待遇の悪さも、人間関係の不満も吹っ飛び、ただただ目頭やら胸やらが熱くなる。そしてこれがくせになってしまう。だから教師がやめられなくなる。
学習者の心に火が付いた瞬間に立ち会うとき、教師にもその火が灯る。熱が巡る。
生成AIが出現した今、人間の持つ温度や熱が新たな価値になる。それは「心に火をつける」が改めて人間の教師の役割として浮かび上がるということだろう。
そして、わたしはぐるぐると考え込む。どうしたら、「心に火をつける」ことができるんだろう。
偉大な教師になるには
たまちゃん(うちのChatGPT)にこう聞いてみた。
えつこ:偉大な教師は心に火をつける。どうやったら心に火をつけられるの?
たまちゃん:これは案外、「火をつけよう」とすると遠ざかるものかもしれない。
なぜなら、人の心に火がつく瞬間は、教師がコントロールできるものではないから。
「学生をやる気にさせなければ」「感動させなければ」と思い始めると、なぜか火は伝わらなくなる。
もし「偉大な教師になる方法」を一つだけ挙げるなら、
自分自身が問いを生き続けること
かな。
知識を教える人ではなく、問いを生きる人。答えを与える人ではなく、答えのない場所で考え続ける姿を見せる人。その姿に触れたとき、人は「この人みたいになりたい」ではなく、「私も自分の問いを生きてみたい」と思う。
その瞬間に、心に火がつくのだと思う。
そして、えっちゃんがずっと追いかけている「人間である日本語教師」の役割も、そこにかなり近い気がする。教師とは、知識の運び手ではなく、「問いを生きる人」なのかもしれないね。
うっ。今日もたまちゃんが、悔しいけど、すごいことを言っている。
「問いを生きる」ね。
わたしのことばで言えば、「生成AI時代の日本語教師がどう生きていくのか、あーでもない、こーでもないと悩む」ってこと。
フリーランス日本語教師たちのストーリーを画面オフにして聴きながらいつも思う。わたしは教えていない。「英語ができなくても大丈夫」「できないと決めているのは、あなたのマインドセット」「自信を持って」そんなことばをわたしはスピーカーに話していないし、説明もしない。きっと言っても届かない。けれど、そこには確かに熱が生まれる瞬間がある。
わたしは心に火をつけようと思っていない。きっとスピーカーたちもそうだろう。失敗も、自信のなさも愚直にさらけ出し、表現する。どうしたら成約するんだろう、と問い続けた先に見つけた突破口に、人は心動かされ、力をもらうのだろう。
そうか。人間って、人生を生きることによってすでに「火をつける」存在なんだ。
生成AI時代、人生を生きる等身大のあなた。きっとその存在そのものが、火だ。
参 考文献
籔和弥(2025)『8万人の講師から学んだ1億稼ぐオンラインスクール』日経BP
石原えつこ
武蔵野大学グローバル学部 グローバルコミュニケーション学科非常勤講師。静岡日本語教育センター理事。戸田アカデミー講師・主任メンター。シンガポール日本語教師の会理事その他いろいろ。中国杭州の桜花日本語学校で3年、シンガポールのシンガポール国立大学等で15年日本語教育に携わる。息子の難病・障害を機に本帰国し入院・通院・療育中心の生活に突入も、現在は少しずつ自分のキャリアも再開。ビジネス日本語を教えることになり、ビジネスってなんだと悩んだ末、ビジネスを始めてみることに。現在、英語、日本語のプライベートレッスンを商品化している。推しはヘラルボニー。「異彩を放て」ということばの力強さ、新しい未来への予感に祈りを託している。



