
「日本語学習のモチベーションが上がらない」「将来、自分は何がやりたいのかわからない」学習者からこのような相談を受けたら、皆さんはどのようにこの学習者に向き合いますか? もちろん指導やアドバイスといった方法も有効でしょう。それでも中には、動かない、動けない学習者もいると思います。そんなとき、「コーチング」が一つの突破口になるかもしれません。今回は、⽇本語教育機関の進路指導担当者や⽇本語教師の皆様に向けて、コーチングの基本的な考え方や具体的なスキルなどについて紹介します。セミナーの開催も予定していますので、ぜひ最後のご案内をご覧ください。(大塚武司/コーチ、元日本語教師)
「答え」はその人の中にある
はじめまして。コーチングオフィスMind Gym代表の大塚です。過去20年にわたり日本語教育に携わってきましたが、現在はコーチとしてビジネスパーソンや教師、学生などの目標達成を支援しています。
私がコーチングに出合ったのは15年以上前、マネジャーとして組織運営や部下との関係構築に苦悩していた時期でした。たまたま参加した研修のテーマがコーチングだったのですが、研修の後、講師に今の自分の悩みを打ち明けました。すると講師は「大塚さんは、部下の話を傾聴していますか? 『答え』は案外、その人の中にあるものですよ」とコメントをくれたのです。しかし、当時の私は「話を聞くだけで何が解決するのか」とモヤモヤしたまま家に帰りました。
それから数日後、部下から相談を受けたときのことです。それまでの私は部下の話をよく聞かずに、指示やアドバイスに終始していたのですが、その日は、ただただ部下の話に耳を傾けることに徹しました。ひと通り話を聞いた後、「じゃあ、どうしたらいいと思う?」と問い掛けてみると、部下から「なるほど」と思わせる打開策が返ってきたのです。私は感心するあまり、気づいたら「うん、任せるよ。そのやり方でお願いします」と答えていました。その後、部下がすぐに動いてくれ、状況は改善に向かっていったのです。このとき、先の研修講師が言った「『答え』は、その人の中にある」という言葉がすとんと肚の中に落ちていったのです。
これ以降、私は、「答えは、その人(学習者/選手/子供/…)の中にある」という言葉を頭の片隅に置きながらコミュニケーションを取ってきました。そして、もっと深くコーチングというものを追究したいと思うようになったのです。
そもそもコーチングって何?
先述したように、私がコーチングと出合ったのは15年以上も前になりますが、当時と比べると、現在、さまざまな場面で「コーチング」という言葉を目にするようになりました。しかし、コーチングの定義が統一されていない現状では、指導や助言、励ましなどと混同されていることが少なくないようです。
コーチの資格認定や倫理規定を定めるコーチング業界最大級の非営利団体である国際コーチング連盟(International Coaching Federation、以下ICF)は、コーチングを以下のように定義しています。
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コーチングとは、思考を刺激し続ける創造的なプロセスを通して、クライアントが自身の可能性を公私において最大化させるように、コーチとクライアントのパートナー関係を築くこと (国際コーチング連盟日本支部) |
私なりの解釈を加えると、コーチングとは、
・コーチとクライアントが上下のないパートナー関係を築くことであり、
・質問などによってクライアントに柔軟な思考と行動を促し、
・最終的には、クライアントの可能性を最大化し、目標達成や自己実現を支援する
ことなのです。
ここでは、このICFの定義に準じて話を進めます。また、皆さんの状況に合わせて、適宜、コーチを教師に、クライアントを学習者に置き換えて読み進めてください。
他の手法と何が違うの?
よく聞かれるのが「カウンセリングやコンサルティングと何が違うの?」という質問です。コーチングと他の手法を明確に線引きするのは難しいところがありますが、「目標達成/問題解決」を横軸に、「質問する/教える」を縦軸にすると、以下のようになります。

例えば、「日本語能力試験N1合格」という目標を持った学習者がいるとします。この学習者への関わり方として、N1合格に必要な語彙や文法などを教えるのは「ティーチング」。一方、「なぜN1に合格したいのか?」「合格に必要な取り組みは何か?」「目標に対して、今のあなたの現在地はどのあたりか?」といった質問をし、学習者自身に考えさせ、主体的な行動を促すのがコーチングです。
また、この学習者が何らかの理由で精神的な不調を訴えたとき、そのマイナスの心の状態をゼロに持って行くのがカウンセリング。この学習者が一生懸命勉強しているにもかかわらず、それが成果に結びつかないときに、その学習者の取り組みの問題点を探り、改善策などを提示するのがコンサルティングとなります。
どの手法がいいか悪いかではなく、要はクライアント(学習者)の状況にあった手法を講じる必要があるということです。
コーチングの全体像
では、コーチングはどのように開始され、どのように終了するのでしょうか。以下の図は、普段、私が行っているコーチングの一例です。通常、期間は5~6カ月を要します。この期間に2週間に1回のペースで、コーチとクライアントとがクライアントの目標達成に向けて1対1の対話の時間(30分~60分)を持ちます。この時間をセッション(またはコーチングセッション)と呼びます(図のオレンジの●)。
初回のセッションはオリエンテーションと目標設定です。「コーチングとは何か?」「コーチングでできること、できないことは何か?」などについて、クライアントの理解を得ます。また、このコーチングを通してクライアントがどんな目標を達成したいのかを明確にします。
2回目以降のセッションでは、その目標達成のためにどんな取り組みが必要かなどをコーチがクライアントに質問し、考えてもらい、言語化してもらいます。さらに、目標達成のための行動を促します。
中間と最後には、評価・振り返りのセッションを設け、目標に対する現時点での達成度や、クライアント自身の変化・成長などについて、クライアント自身に評価してもらいます。

この一連の流れの中で、私が特に大切にしているのが「目標設定」です。クライアントにとって、心の底から達成したいと思える目標、考えるだけでもワクワクしてしまうような目標をクライアントの中から引き出すことができれば、あとはクライアントが自ら動きだします。むしろ、動かずにはいられなくなると言った方が正しいかもしれません。
逆に、目標があいまいであったり、お仕着せの目標だったりすると、コーチングは機能しません。ですから、初回のセッションで、クライアントの肚に落ちるような目標が設定できなければ、2回目のセッションで、それでもだめなら、3回目のセッションでと、目標設定に時間を使っています。
具体的な目標設定の方法については、第2回のセミナーで実例を交えながら解説していきます。
日本語教育の現場では、すべての学習者に対して、このような流れでコーチングを行うのは、人数の問題もあり現実的ではないでしょう。しかし、少人数クラスや1対1のレッスンを担当している教師なら、頻度を減らしたり、セッション時間を短くしたりすれば可能かもしれません。また、対学習者だけでなく、例えば、主任教師が後輩教師の育成のために上記のような取り組みを行うことは可能なのではないでしょうか。
現場で取り入れやすい「質問」と「傾聴」
さて各セッションにおいて、ICF の定義にある「思考を刺激し続ける創造的なプロセス」を実現するためにコーチングスキルが用いられるわけですが、代表的なものに「質問」「傾聴」「承認」「フィードバック」「ペーシング」「提案」などがあります。ここでは、皆さんの現場でも取り入れやすい「質問」と「傾聴」について軽く触れます。
コーチングにおける「質問」とは、コーチが知りたいことをクライアントに聞くものではありません。「クライアントが自分の目標達成のために知りたいことを、クライアントの中から引き出す」ような質問のことを言います。例えば、以下のような質問が考えられます。
・日本語の学習を通して、あなたはどうなりたいのですか?
・日本語が上手になるために、やったほうがいいこと、やらないほうがいいことは何ですか?
・日本語を流暢に話す未来のあなたは、今のあなたにどんなアドバイスを伝えますか?
このように、クライアント自身が考えたくなるような、そして、話したくなるような質問を投げかけ、思考してもらい、話してもらいます。
そして、コーチはクライアントの話を聞いていきますが、ここで「傾聴」の姿勢が重要になります。ここでは「傾聴」を「クライアントが発信するすべてのメッセージを受け取ること」とします。では、この「すべてのメッセージ」とは何を指すのでしょうか。それは、クライアントが発する言葉はもちろん、表情や目線、姿勢、ジェスチャー、トーン、話す速度、沈黙など、言葉以外の情報を指し、それらをクライアントを理解する手がかりとするのです。
私が傾聴の中で特に大切にしているのが「沈黙」です。クライアントの沈黙は、新しいアイデアを考えていたり、考えをまとめていたり、深く考えていたりしているメッセージなのです。「沈黙」は、クライアントが目標に向かって前進するための必要な時間でもあるのです。
私が日本語教師として駆け出しの頃、授業は活発でテンポよく行うものだと思い込んでいました。学習者が発話に詰まり、沈黙の時間が流れようものなら、すぐにその学習者が言いたかったであろう表現を代わりに言っていました。
今、思えば、私の行為は学習者の思考する時間を奪い、「自分の言葉で最後まで言い切った」という成功体験を次から次へと奪っていたのかもしれません。もちろん、学習者が積極的に参加する活発な授業は素晴らしいと思います。でも、同時に「沈黙」に価値を置き、ときには「待つ」ことも重要だと、コーチングを学ぶようになってから思っています。
質問と傾聴については、第1回のセミナーで取り上げます。
スキルの前に自身の自己探求を
ここまでコーチングのスキルや構造について触れました。しかし、スキル以前に重要なのが、コーチ自身が自己を探求する態度を持ち続けることです。私達は無意識のうちに自分の価値観や前提で相手や状況を見ています。
「学習者/教師/授業はこうあるべきだ」といったあなた自身の信念は、ときに相手やあなた自身の可能性を狭めてしまう恐れがあります。だからこそ、自分が持つ前提に自覚的になる必要があります。
あなたは、
・どのような価値観、教育観、仕事観、人生観を持っているのでしょうか?
・日本業教育の営みの中で何に喜びを見出しているのでしょうか?
・日本語教育を通して何を実現しようとしているのでしょうか?
・どのようなコミュニケーションを好み、または、嫌うのでしょうか?
こうした問いに向き合い続けることが、教師(コーチ)としての在り方を形づくり、ICFの定義にある「コーチとクライアントのパートナー関係」を構築する第一歩となるのです。
コーチングは万能ではありません
当然ながらコーチングはどんな事柄に対しても効果を発揮するものはではありません。
以下の図のように緊急度を横軸、重要度を縦軸としたとき、A~Dのどの事柄にコーチングが適しているでしょうか? 答えはA「緊急ではないが重要な事柄」です。例えば、難易度の高い目標、人材育成、組織の風土改革などが挙げられます。
B「緊急かつ重要な事柄」の場合は、担当者に指示・命令などをし、速やかな対応が必要でしょう。C「緊急だが重要ではない事柄」の場合は、担当者に任せればいいでしょうし、D「緊急でも重要でもない事柄」の場合は、そもそも対処する必要がないものかもしれません。

皆さんの現場でも、学習者、教師、組織のそれぞれが抱える課題を上図に従って分類してみたとき、Aに該当する事柄に対してコーチングを応用してみてはいかがでしょうか。
まとめ コーチングでなくても、コーチング”的“な関わりを
今回は、コーチングの基本的な考え方や、その具体的な関わり方について紹介しました。忙しい教育現場において、すべての場面にコーチングを取り入れることは難しいかもしれません。しかし、「質問する」「待つ」「傾聴する」といったコーチング“的”な関わりを日々の授業や学習者との対話に少し取り入れるだけでも、学習者との関係性に変化が生まれてくるでしょう。
また、コーチングは学習者への働きかけにとどまりません。教師の育成や職場の人間関係の改善、そして組織の風土づくりにも応用できます。
「動かない、動けない学習者」に出会ったとき、ぜひコーチングの視点で関わってみてください。その一歩が、学習者の、そしてあなた自身の新たな可能性を開くきっかけになるかもしれません。
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日時:2026年7月3日(金)20時‐21時半
主催:アルク
大塚武司
コーチングオフィスMind Gym代表。ビジネスパーソン、アスリート、教師などを対象とした目標達成のためのコーチングを専門とする。早稲田大学大学院日本語教育研究科修士課程修了。サムスン人力開発院日本語常勤講師(韓国)、株式会社アルク日本語事業部長、株式会社コーチ・エィ、国際交流基金日本語専門家(ベトナム)、国際協力機構日本語専門家(ベトナム)などを経て現職。毎朝、瞑想に取り組むも、雑念がわんさか出てくるのが目下の悩み。



