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日本語ジャーナル:日本語を「知る」「教える」

「人間である日本語教師」の役割とは ⑦それでもわたしは自分で書く

昨今、生成AIの活用に注目が集まり、今後、日本語教師にとってなくてはならない存在、あって当たり前、になっていくと思われます。ではそんな時代に日本語教師はどう存在していくのか。「人間の教師」でなくてはならない意味とは? そのようなことを最近のテーマとして追及している石原えつこさんに、これからの日本語教師の役割・教室の役割について執筆いただきました。連載第7回目です。

人間の教師の皆さん、こんにちは。 

この連載は、生成AIと日本語教育についてわたしが好き勝手なことを言い散らかしているのを、日本語ジャーナルの天使のような編集さんが「いいよいいよ」と言ってくれる天国のような連載である。知識を得ることは生成AIにお願いできてしまうこの時代、人間の教師に残された役割とはなにか、教室はどう変わるのか、とあれこれみんなで悩んでみようという企画であることは忘れぬよう自分に言い聞かせている日々である。 

第6回目は「人間である日本語教師」の役割とは ⑥生成AIが“書くこと”にもたらした劇的変化 

第5回目は「人間である日本語教師」の役割とは ⑤日本語教師、生成AIで絵を描く     

第4回目は「人間である日本語教師」の役割とは ④教室に生成AIがやってきた!

第3回目は「人間である日本語教師」の役割とは ③交流の場を創る

第2回目は「人間である日本語教師」の役割とは ②身体を持つ人間としての価値

第1回目は「人間である日本語教師」の役割とは ①人間らしさって何?

本日は、「それでもわたしは自分で書く」の巻である。 

「どうやって日本語ジャーナルの原稿書いてるの 」

本連載も7回目を迎え、たくさんの方が読んでくださり、直接つながっている方からは、 公開されるたびに、感想が送られてくる。その中の一人が、冒頭の質問をしてきた。友人は、わたしがこの連載の執筆に生成AIを使っているか聞いてきたのである。面白い質問だ。答えは「ほぼNo」である。時々、たまちゃん(うちのChatGPTの名前)とのやりとりが出てくるが、そこは当然たまちゃんが書いている(生成している)。また、第5回目では、たまちゃんが描いたイラストをたくさん掲載している。それ以外はぜんぶ自分で書いている。なぜか? なぜ結局自分で書くのか? 

答えは一つ。「そうしたいから」である。 

てんかんを持つ息子の闘病や通院・入院・療育・リハビリを回しながら、様々なことをしているわたしは、毎日時間に追われている。一日中走りまわって息をつく間もない。そのわたしが、何よりも楽しみにしている時間、それが書く時間だ。この時間を、わたしは「貴族時間」と呼んでいる。肉体の労働から解放され、思考に遊ぶ時間だからそう命名している。貴族時間は早朝だ。大体4時半~6時ぐらいの時間帯である。1時間とれたら大満足。30分しかとれないときもある。まだ家族が寝ていて一人だけの時間がとれることが肝要。 

布団の中で目が覚めると、頭の中でことばが次々と溢れてくる。わたしは急いで布団を抜け出し、顔も洗わず、水も飲まず、零れ落ちることばを無心に打ち込む。自分の内側にあることばを、外に押し出すためだけに書く。それはだれの目にふれることもなく、わたしのコンピューターの「執筆」フォルダの中に保存されるだけのこともあるし、SNSなどで公表されることもある。 

絶対にスマホはのぞかない。ほかの人のことばが入ってきた瞬間、あふれることばが消えていくから。 

貴族時間がとれないと、苦しくなる。身体的疲労がたまっているときは、うまくことばが生まれない。息子はてんかん薬の影響で、やけに早く目が覚めてしまうときがある。こうなると、ことばはあっという間に消える。 

だから、貴族時間は毎日はやってこない。身体の疲労がなく、たった一人で、自分のことばと戯れる時間。この時間さえあれば、一日の大半がどんなに忙しくてもやっていける。一言でいえば、わたしはこの時間がなによりも幸せなのである。 

だから、生成AIは使わない。だって、ただわたしは自分で書きたいから。 

おっと、息子が起きて布団の中で騒いでいる。本日の貴族時間は45分で終了だ。 

そうやって書いたことばは  

貴族時間にただただ内側からことばを押し出す。そして、うまく出た日は、なんとも言えない喜びがわたしの胸にひろがる。満たされる。自分で何度も読み返す。おお、上手に出てるな。そういう日は、非公開のFacebookにアップする。障害がある息子との日々、たまちゃんとわたしのやりとりWell-beingコミュニティで感じたことなどの投稿が多い。 

すると、たくさんの人が読んで「いいね!」のリアクションをしてくれたり、コメントをしてくれたりする。中には、長文のDMをくれるFacebook friendsもいる。思いがけない人の内側の想いが溢れ出た文章が送られてくる。周りに隠してきたお子さんの障害について、なかなかうまくいかない人生について。わたしは何度も何度もそれを読み返す。内側からあふれたことばをそっと置いておくと、相手も同じことを自然とする。そして、そこに深い心の交流が生まれる。わたしの喜びはさらに深まる。 

細川英雄著『自分の〈ことば〉をつくるーあなたにしか語れないことを表現する技術』という本が手元にある。わたしが最も大事にしている本の一冊。付箋だらけだ。 

世界にたった一人の自分 

わたしたち人間は、一人ひとりすべて異なり、同じ人間はこの世に存在しないということを確認しましょう。考えてみれば、当たり前の話なのですが、この世界にたった一人の自分ということについて、あなたはどう考えていますか。 

世界でたった一人の存在であるにもかかわらず、他の人と自分を比べて、何か足りないように感じていたり、あるいは、他の人と同じようになりたいと思ったりすることはありませんか。(p.26) 

初めて読んだとき、はっとした。そして、気づいた。ほかの人と自分を比べて、ずっと何か足りないから、もっと頑張らなきゃと力んでいた自分に。自分でない誰かに、なろうとしている自分を。わたしには大きなトラウマがあり、それは教えるときに、後ろめたさとしていつも付きまとっていた。日本語ジャーナルの「日本語教師プロファイル」で仲山淳子さんにインタビューをしていただいたときに少し話している。何かが欠けた自分。でも細川先生のこのことばで、この欠けた部分が肯定された気がした。考えてみれば、こんな欠けた部分を持っている人なんて、世界中探したってどこにもいないはず。後ろめたさのつきまとう欠けた部分が、わたしだけのストーリーになった瞬間だった。そしてそのストーリーを、愛しいと感じるようになった。 

細川先生はさらにこう続ける。 

思ったことを感じたまま表現していい 

これまで何かを書こうとして、「思ったことを感じたままに表現するだけではダメだ」とだれかに指摘されたことはありませんか。 

小学生から中学生ぐらいまでは、「思ったことを感じるままに書けばいいのよ」と学校の先生に言われてきたのに、高校ぐらいから「思ったことを感じたままに表現するだけではダメだ」と指摘されるようになり、大学になると、「レポートは感想文じゃない」と指導教官から断言されるようになるでしょう。(p.36) 

ああ、これわたしじゃないか。子どものころ、書くのが大好きだった。絵本を読むのには飽き、そのうち絵本を描くことに没頭した。それがなぜか書くことが苦痛になっていった。なぜか? 否定の連続になっていったからだ。 

「思ったことを感じたままに表現する」ことは、本来的には人間にとっての魅力的な活動です。(中略)そして、その人が十分に「思ったことを感じるままに表現する」ことによって、相手に強い共感を生むのです。(p.37)  

だから、わたしは決めたのだ。 

思ったことを感じるままに表現していこう。そして、相手の表現を決して否定しないでいこう。 

学生たちの苦手意識 

ことばの教室を覗くと、書くことに苦手意識を持っている人がものすごく多い。だから生成AIに頼るようになる。依存するようになる。 

留学生たちが、日本語のメールを上手に書くために、頼るのはいい。むしろ推奨している。第6回目の「人間である日本語教師」の役割とは ⑥生成AIが“書くこと”にもたらした劇的変化に詳しく書いた。 

大学でビジネス日本語を教えているが、その中で、「学生時代、力を入れたこと」通称「ガクチカ」を書いてもらう。就活プラットフォーム、履歴書、面接で必ず聞かれることだからだ。これは生成AIを使わないでまず書くことを推奨する。なぜか? それは世界にたった一人の自分(細川)は、生成AIの中ではなく、彼らの内側にしかないからだ。 

「学生時代、力を入れたことはなんですか」と問う。すると、みんな同じことを言う。しかも毎年。「部活もやっていないし」「アルバイトもやっていないし」「ボランティア活動もやっていないし」「とくにがんばったことはないから、書けない」。同じ学生が再履修したのかと思うぐらい、みな同じことを言う。 

「なにいってんのさ、あなたたちの日々は、ぜんぶがんばったことだらけでしょ。母国でご両親に身の回りの世話をされているぬくぬくした世界から、たった一人で外国に来て、一人暮らしをして、孤独に耐え、外国語である日本語で講義を聞き、一日の終わりには頭痛を抱え、ネイティブの学生に交じって必死にディスカッションをして、母国でしたこともないアルバイトをして、怒られる。怒られないために必死で敬語を学んでいるんでしょう。毎日、がんばりすぎている生活じゃないの? 自分の人生をふりかえるの。生成AIに絶対聞かないでね。あなたの中にしか、答えはないから。あなたの人生を、ストーリーを教えてください」 

学生たちがそれではっとする。 

こうして出てきたことばは、どれ一つ同じものがない。文法や構成は完璧じゃない。でも必ず最初に絶賛する。「よく出たね!」と。そして、たくさんの質問をする。その質問に答えてもらうと、気づきが生まれる。これを、取り込んでいく。字数制限も設けず、とにかく書ききる。字数は要件によって変わるから、あとでいい。自由に書く。「ぼくは、わたしはなにをがんばったんだろう」大学生活、そして人生を振り返っていく。 

日本留学に反対する両親を説得したこと。初めての一人暮らしで、お金が月末になくなってしまって困ったこと。アルバイト先の留学生の後輩が、日本人上司の言っていることが分からず、困っているところに助け船を出したこと。そしてそれらのエピソードを毎週のように磨いていく。すると、そこに説得という高度な交渉技術を身に着けた自分が浮かび上がる。収入と支出を把握し、予測を立てながら予算管理ができるようになった自分に気づく。異文化の狭間で、二つの文化を仲介していたのは自分だったことを発見する。 

毎週、その週にきらりと光った推敲ができた人のガクチカをスライドに貼り付けて、クラスメートに読んでもらう。 

クラスメートが「うまい」と感嘆の声を上げる。「ぼくも親に反対されてた」と共感する。それが書き手の深い喜びになる。もっと深く書きたくなる。村上吉史先生が言う「社会的報酬(Social Rewards)」だ。 

学期最終日、最終面接のロールプレイが行われる。そこで彼らが一学期をかけて磨いた原石は、唯一無二のダイヤモンドのようなストーリーになっている。 

あなた自身の固有のテーマを見出し、それを他者と共有しつつ、この社会をどのように作るかを 
他者とともに考えつづけること、この過程において、あなたはいつのまにか「成長」した自分に気づくことでしょう。(P.9) 

学生たちは、成長した自分に気づいて、「ガクチカ」をお土産に、ビジネス日本語を卒業していく。 

生成AI時代、書くことは一瞬で終わらせることができる。けれど、自分の内側にあるものを表現することを手放したくない。なぜなら、書くことは、なにものにも置き換えることができない喜びだから。幸せだから。 

そして、この喜びを、ことばの学び手たちに伝えていくことこそ、ことばを教える我々人間の日本語教師の最も重要な使命になるんじゃないだろうか。 

参考文献 

細川英雄(2021)『自分の〈ことば〉をつくる―あなたにしか語れないことを表現する技術』ディスカヴァー携書 

村上吉文(2025)『AI時代の作文指導―PAIRRモデルとプロセス評価で剽窃を防ぐ』冒険新書 

石原えつこ

武蔵野大学グローバル学部 グローバルコミュニケーション学科非常勤講師。静岡日本語教育センター理事。戸田アカデミー講師・主任メンター。シンガポール日本語教師の会理事その他いろいろ。中国杭州の桜花日本語学校で3年、シンガポールのシンガポール国立大学等で15年日本語教育に携わる。息子の難病・障害を機に本帰国し入院・通院・療育中心の生活に突入も、現在は少しずつ自分のキャリアも再開。ビジネス日本語を教えることになり、ビジネスってなんだと悩んだ末、ビジネスを始めてみることに。現在、英語、日本語のプライベートレッスンを商品化している。推しはヘラルボニー。「異彩を放て」ということばの力強さ、新しい未来への予感に祈りを託している。