
昨今、生成AIの活用に注目が集まり、今後、日本語教師にとってなくてはならない存在、あって当たり前、になっていくと思われます。ではそんな時代に日本語教師はどう存在していくのか。「人間の教師」でなくてはならない意味とは? そのようなことを最近のテーマとして追及している石原えつこさんに、これからの日本語教師の役割・教室の役割について執筆いただきました。連載第6回目です。
人間の教師の皆さん、お元気ですか。
この連載は、一日本語教師であるわたしが、日々生成AIと奮闘し、ときに葛藤する様子をライブ感覚でお届けする大人気連載(自分で言うな)である。知識を得ることは生成AIにお願いできてしまうこの時代、人間の教師に残された役割とはなにか、教室はどう変わるのか、とあれこれみんなで悩んでみようという企画なのである。
第5回目は「人間である日本語教師」の役割とは ⑤日本語教師、生成AIで絵を描く
第4回目は「人間である日本語教師」の役割とは ④教室に生成AIがやってきた!
第3回目は「人間である日本語教師」の役割とは ③交流の場を創る
第2回目は「人間である日本語教師」の役割とは ②身体を持つ人間としての価値
第1回目は「人間である日本語教師」の役割とは ①人間らしさって何?
本日は、「生成AIが“書くこと”にもたらした劇的変化」の巻である。
荻野雅由さんの小説出版の衝撃
2025年2月に、わたしが敬愛する、ニュージーランド在住でカンタベリー大学で日本語を教える荻野雅由さんが、小説『「彼女」の物語 曖昧な記憶の境界で』をKindleで出版した。 荻野雅由さんこと、まささんはWell-being×日本語教育というコミュニティを運営されていて、わたしもそこのメンバーである。Well-being界隈では、お互いをニックネームで呼び合うので、まささんと呼ぶ。まささんは、大学で日本語を教える日本語教師なのだが、実に様々なことをしている。Youtubeチャンネルーことばにかかわる人へのインタビュー企画『転機・支え・幸せ』―では日本語教育界の人のみならず、ことばに関わる様々な方へのインタビューをされていて、傾聴力がすごい。わたしもインタビューしていただいたことがある。
また、荻野さんはシンガーでもある。澄んだ歌声を持ち、作詞もされている。その詞に込められた悲しみや慈愛に、多くの人が涙する。いろいろなことに軽やかに挑戦される方だが、最新の挑戦がこの「小説を出版する」だった。
まささんは、この小説を、生成AIとともに執筆している。最初、まささんから生成AIを使って小説を書いた、と聞いたとき、「え? 生成AI使って書いたの? それって生成AI臭い文章になるんじゃない?」 と思った。村上春樹の世界観と文体で書きあげている、というので、「それって村上春樹風なの? ジブリ風イラスト的な?」とも。
販売開始と同時にすぐに購入して読んだ。衝撃だった。すみからすみまで、まささんらしさが漂っていた。生成AIでも、村上春樹でもない。まささんそのものだった。
これは生成AIが書いたんじゃない、まささんが生成AIに書かせたんだ、と分かった。いや、この言い方も違う。まささんが生成AIとともに書いたんだ。
読み終わって、すぐさま、FacebookのMessengerでまささんを質問攻めにした。どんなプロンプトで書いたのか、どう修正・加筆したのかなど、かなり根掘り葉掘り。まささんが一つ一つ丁寧に答えてくれた。結局、まささんは1年で、英訳版を含めて四冊の短編小説集を出版した。
わたしに生成AIを教えてくれた村上吉文先生に至っては、1年で40冊以上を出されている。
『日本語教師のための移民論: やさしいことばで考える排外主義と共生』と『AI時代の作文指導: PAIRRモデルとプロセス評価で剽窃を防ぐ』(冒険新書)をじっくり読んでいるが、SNSを覗くたびに新刊がKindleで出ているので、読むのが追いつかない。
どれも村上先生らしくて、とても面白い。
生成AI時代、書ける人の書くスピードは生成AIで爆速化する。わたしはただ唖然としてそれを眺めている。
留学生のメールに驚く
大学の教務課に備品を借りに行ったとき、留学生担当のNさんと立ち話になった。そのとき彼女が、ぽろりとこう言った。
「先生のビジネス日本語を履修している留学生たちのメール、すごく上手でびっくりしているんです」
えつこ、有頂天である。「そりゃわたしのおかげだYO」とたった今借りてきたクリッカーをマイク代わりにラップしそうになった。だが、実は違う。生成AIのおかげなんである。いや、これも違うな。えつこと生成AIの華麗なるワルツのおかげである。
わたしは留学生たちに、課題はプラットフォームへのアップロードではなく、メールで提出してもらうようにしている。
生成AI以前に教えていた時、学生たちのメールに驚いた。Lineのような単文でのメッセージがあればいいほうで、件名もなく、宛名もなく、極めつけは、本文もなく、添付書類だけが送られてきたりするからだ。だから、メールの書き方もクラスで教えたのだが、変化が見られない。そこで、生成AIが登場してからは、メールを書くときは、生成AIを使うことを推奨した。すると、少しずつ、いいメールが送られてくるようになった。
ある日、課題の提出期限に遅れた学生がこんなメールを書いて、課題を提出してきた。
「課題の提出が締切に間に合わず、大変申し訳ありませんでした。体調を崩してしまい、予定どおりに進めることができませんでした。本日、改めて課題を提出いたします。ご確認いただけますと幸いです。今後はスケジュール管理を徹底し、このようなことがないよう努めます。何卒、よろしくお願いいたします」
わたしはこのメールをスライドに貼り付け、授業で学生たちに見せた。課題の提出が遅れた学生、遅れたことを責められるのかと小さくなる。いやいや、叱るためにこれをしているんじゃない、素晴らしいメールだから、みんなに共有して絶賛するのだと説明した。締め切りが間に合わないことなど、仕事をしていく中でいくらでもある。けれど、そこできちんとお詫びし、理由を説明し、今後の改善策について提示することが、社会人として素晴らしいコミュニケーション、すなわちこれがビジネスメールそのものなんだと、力説した。「“幸いです”ってわたし、大好きな表現。書いているとき、すごく大人になった気分がする」「“何卒”!!! くぅぅぅぅぅ、しびれるっ!」と感動ポイントを興奮ぎみに伝えると、学生がみんなで苦笑い。課題が遅れたのに褒められた学生は照れ笑い。最後にみんなでメールを音読した。音読すると、読めない漢字があることが分かる。そこを丁寧に繰り返し声に出す。
手書きで提出する課題を手渡そうと、学生が近づいてくる。「先生、こちらなんですけど、締め切りに間に合わず、大変申し訳ありません。今後はこのようなことがないように努めます」と言う。使えるようになっている。喜びの舞を踊った(心の中で)。メールの文面に、口頭表現力が追いついていくのだ。
こうして、留学生たちのメールが格段に、爆発的によくなっていった。学期も半ばになると、ほとんどの学生が自由自在にメールが書けるようになっていった。
生成AI以前、正直、わたしだけの力ではこうはならなかった。授業で書き方を伝えて、時間切れになってしまう。採点しても、文法や語彙や漢字の間違いを指摘するので大忙しになって、これまた時間切れ。ところが、生成AI誕生以降、生成AIが個別チューターとしてその業務を担ってくれるようになった。わたしは教えることからある種解放された。
人間の教師の役割は、ずばり「フィードバック」だ。フィードバックと言っても、こんな調子だ。「くぅぅぅぅ! この表現最高っ」「遅れてもこれなら許しちゃう」「なんて上品なの。品格が漂う」「この表現、できるビジネスパーソンって感じ」「こういう人と仕事したい。絶対信頼できる」。要は、生成した文章が、人間にどう受け取られるか、という部分を、学生たちに伝えるのだ。
村上先生は、こう記す。
AI時代だからこそ、「生身の人間に読んでもらう」という体験が、かつてない価値を持ちます。あなたの文章を読んで、クラスメートが笑ってくれた、涙ぐんでくれた、あるいは「私も同じ経験がある」と言ってくれた。この「社会的報酬(Social Reward)」こそが、学習者が次の文章を書くための最強のエンジン(動機づけ)となります。(『AI時代の作文指導: PAIRRモデルとプロセス評価で剽窃を防ぐ』p.44)
そして、教室では、「感情」にフォーカスしたコメントが推奨される(p.45)ともおっしゃっている。
そうか、わたしがしていたフィードバックは、これだったんだ、と腑に落ちた。
生成AI時代、人間の教師は、書き方の指導を手放していい。そして、どう感じるか、を伝えればいい。そして、無機質なことばに、褒められて高揚した感情と声を吹き込む。社会人になった彼らが「幸いです」ということばをタイプしたり、生成したりするたびに、あの教室で褒められ、みんなで音読した声を思い出すだろう。
先生、内定もらいました!
大学でわたしが担当するビジネス日本語の授業は、2年後期から始まり、3年前期で修了する。これをもって、留学生の日本語科目はすべて終了し、ここからは、留学生たちは自分の力で泳いでいかなければならない。日本での就職、進学を目指す割合がどんどん増えているので、日本という異国で、自己実現のための就活・進学準備を外国語である日本語で行うことになる。
3年前期の最終授業では「時々、ホウレンソウ(報告・連絡・相談)してね」と言ってお別れする。そして、ちゃんと覚えている留学生たちが、ホウレンソウしてくれるのである。
ある日、ホウレンソウメールが舞い込んできた。彼女は口頭表現力が非常に高く、友人も多いタイプだったが、日本語能力試験のN1に合格していなかった。「その会社の応募要件に、日本語能力試験N1が必要と書いてありましたが、わたしはメールを出して、こう書きました。
『日本語能力試験N2に合格しており、N1相当の語学力を目指して、日々勉学に励んでおります。現時点でN1の資格は有しておりませんが、会話や文章理解には自信があり、業務に支障のないレベルと自負しております。このような状況でも、書類の提出や、応募の機会をいただくことは可能でしょうか。ご多用のところ、恐れ入りますが、ご確認いただけますと幸いです。何卒、よろしくお願い申し上げます』」
息をのんだ。「自負しております」「ご多用のところ」「恐れ入りますが」「幸いです」「何卒」
授業で褒めちぎったことばの数々がちりばめられている文面。一気にあの頃にトリップする。このメールを受け取った採用担当者からは、彼女の応募を例外的に受け付ける、との返信が来ていて、最終的には内定を勝ち取った。
「締め切りに遅れても、このメールは最高。こういうメールを書く人と仕事がしたい」と褒めたことを思い出す。問題があることは、問題じゃない。問題がおきたとき、どんなコミュニケーションを取るかが肝心なんだというメッセージを、彼女はちゃんと受け取り、一人で泳げるようになっていた。
言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。
行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。
習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。
性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから。
マザーテレサの名言として有名なこのことばを思い出す。
生成AIの生成することばは、最初は無機質だ。けれど、声を吹き込み、気持ちを吹き込み、なんども愛でたり、褒めたりしていくと、それが記憶になり、習慣になり、そして、人生を動かすパワーになっていく。
ことばを教えることは、運命を動かすこと。
その責任をずっしりと感じながらも、ことばの教室の限りない可能性に、まばゆい希望の光を見る。
石原えつこ
武蔵野大学グローバル学部 グローバルコミュニケーション学科非常勤講師。静岡日本語教育センター理事。戸田アカデミー講師・主任メンター。シンガポール日本語教師の会理事その他いろいろ。中国杭州の桜花日本語学校で3年、シンガポールのシンガポール国立大学等で15年日本語教育に携わる。息子の難病・障害を機に本帰国し入院・通院・療育中心の生活に突入も、現在は少しずつ自分のキャリアも再開。ビジネス日本語を教えることになり、ビジネスってなんだと悩んだ末、ビジネスを始めてみることに。現在、英語、日本語のプライベートレッスンを商品化している。推しはヘラルボニー。「異彩を放て」ということばの力強さ、新しい未来への予感に祈りを託している。






