
2020年より連載開始した、田中祐輔さん(筑波大学教授)による日本語教育史シリーズ。「人物でたどる日本語教育の歴史とミライ」をテーマに執筆され、これまで13本の記事が掲載されました。どの記事も長い間、読まれ続けています。「まだ読んでいなかった記事を知りたい」「一覧で読みたい」という方、ぜひこちらのまとめ記事でご確認ください。「多文化共生」「国際文化交流」」「平和と相互理解」「制度と事業」という分類でまとめています。
執筆者、田中祐輔さんメッセージ
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私がこの日本語教育史のシリーズの記事を書くときに毎回おおもとのコンセプトにしているのが「日本語教育とは何か/社会の中でどのような役割を果たしていくのか」という私自身の問いです。
この問いに向き合うため、国内外に残された資料や公文書、歴史的文献、さらにはメディアアーカイブやデータベースを手がかりに、それぞれの時代に、それぞれの場所で、誰かが必要に迫られて日本語教育を通して社会に貢献した歴史を、そして日本語教育者たちが直面した課題や重ねてきた努力、思いがけない出会いや創意に満ちた実践を紐解いていきました。
記事でご紹介した一つひとつのエピソードからは、日本語教育が、多文化共生や国際文化交流、教員養成や留学生事業を支え、さらには国境を越えた相互理解や平和にもつながってきた、奥行きと広がりをもつ営みであることが見えてきます。
先人たちの実践を歴史の中に位置づけ、その想いや志に触れることは、日本語教育のこれまでを知ると同時に、これからを思い描くことでもあります。本シリーズが、これからの日本語教育や多文化社会を担う読者の皆さんにとって、現在の実践を見つめ直す視点となり、未来へと向けた新たな挑戦への一歩を踏み出すための小さな灯となれば幸いです。
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多文化共生(赤間泰子、野元菊雄、リーチマイケル)
赤間泰子教諭の日本語教育物語 -小笠原諸島返還とJSL児童へのことばの支援
東京から南に1,000キロ離れた島々で構成される小笠原諸島は、その豊かな文化と自然から世界自然遺産に登録され、毎年多数の観光客が訪れています。本州からの移住者も多く、父島では9割を占めるに至っていますが、1968年まではアメリカの施政権下にありました。そこでは英語で教育が行われ、商店ではドルが通用しました。今回のコラムでは、今から五十年前の小笠原返還をめぐる児童教育に寄与された赤間泰子教諭の日本語教育物語をご紹介します。
日本語の国際化と「簡約日本語」 ー野元菊雄の目指したこれからの日本語ー
現代の日本社会では、日本で生まれ育った人々に加え、海外にルーツを持つ多様な人々が日本語を用いながら生活しています。そうした「日本語話者の多様化」が進むなかで、どうすれば誰にとってもわかりやすく、伝わりやすいコミュニケーションができるのかが、大きなテーマになっています。このことに早くから向き合おうとしたのが、国立国語研究所の野元菊雄による「簡約日本語」の提案でした。
リーチマイケル選手の日本語が生んだ、ワンチームとしての多文化共生
ラグビーワールドカップ日本大会における日本代表選手たちの活躍は目覚ましく、史上初のベスト8に進み、チームのスローガンである「ONE TEAM」はその年の流行語大賞にも選ばれました。日本全体がまさに一つになった大会でしたが、実はその過程には、海外出身者・外国籍者も参加する代表チームを「日本の代表として認めていいのか」という声もありました。ラグビーワールドカップでの多様性をめぐるこうした不協和音が一体感へと展開した背景として、今回はリーチマイケルキャプテンの日本語に着目します。
国際文化交流(宣教師ヴァリニャーノ、ゴンザ、アーネスト・サトウ、ベルナール・ベローと清水達夫)
宣教師ヴァリニャーノによる日本語・日本文化学習と教育 -歩み寄りと相互理解を目指した巡察師の精神-
第266代ローマ教皇に現在のフランシスコ教皇が決定した際、史上初のイエズス会出身者であることが注目されました。イエズス会はカトリック教会の修道会で、日本でも著名なフランシスコ・ザビエルらによって創設されました。今から約500年前に日本にはじめてキリスト教を伝えたことでもよく知られています。今回は、キリスト教伝来から三十年後の1579年に来日したイエズス会宣教師アレッサンドロ・ヴァリニャーノに着目し、彼の目指した歩み寄りと相互理解の日本語・日本文化の学習と教育についてご紹介します。
ロシアの日本理解に力を尽くした日本人漂流民ゴンザ - 露日辞典と300年にわたる教師リレー -
日本とロシアとの修好165周年を迎える今日、日露間では、政治経済から文化芸術まで幅広いチャンネルで交流が行われています。日本の外務省が2016年に実施した調査によると、ロシアでは日露関係が比較的友好状態にあると認識する人々の割合が約80%に上り、日露友好関係は重要であると認識する人々の割合は実に97%に達しています。今回は、300年前にさかのぼり、この日本とロシアとの交流の礎を築いた一人である漂流民ゴンザの露日辞典に着目します。
アーネスト・サトウの『KUAIWA HEN』 - 日本に世界を伝え世界に日本を伝えた外交のスペシャリストの日本語教材-
2022年はイギリス公使館の通訳と駐日公使を務めたアーネスト・サトウ来日後160年にあたります。サトウは、幕末から明治維新前後にかけて通算25年もの間日本に滞在し、徳川慶喜や勝海舟、西郷隆盛、桂小五郎、岩倉具視、木戸孝允、伊藤博文、井上馨、大久保利通といった面々と親交を持ちながら、外交から文化交流、そして学術研究に至るまで幅広く功績を遺しました。今回は、そのうちサトウと日本との出会いや、日本語学習と研究、そして、サトウ自身が作成した日本語教材をご紹介します。
フランスにおける日本語メディアの創設 -イリフネ出版創業者ベルナール・ベロー氏とマガジンハウス創業者清水達夫氏-
古くは19世紀欧州の“Japonisme”という日本ブームを牽引し、現在では300万人が訪れる日本文化イベントが開催されるなど、フランスは日本語や日本文化にとりわけ理解のある国とされています。今回は、そのフランスにおいて長年日本語とフランス語による情報発信を行い、日本語教育や継承語教育にも大きな影響を与えたイリフネ出版がいかにして設立されたかについて、創業者のベルナール・ベロー氏と、日本の雑誌の神様とも称される清水達夫氏との縁に着目します。
平和と相互理解(嘉納治五郎、松本亀次郎、木村宗男)
分け隔てなくともにー近代留学生教育と嘉納治五郎ー
東京高等師範学校長、文部省普通学務局長などを歴任し日本の教育の発展を担うとともに、講道館創設やIOC委員としての活動から柔道と体育の父とも呼ばれる嘉納治五郎ですが、留学生への日本語教育とも深い関わりを持つ人物です。今回は、嘉納治五郎の留学生教育とその考えに着目します。
中国からの留学生教育と松本亀次郎 ー“相知り相信ずる”親善の思想 ー
令和元年度に日本への留学生数は30万人を突破しました。そのうち最も多いのが中国からの留学生12万人で、日本の留学生総数の4割を占めます。近代日本における中国からの留学生受け入れに日本語教育の立場から携わり、さまざまな困難への対処や取り組みで多大な功績を果たした松本亀次郎に着目し、その半生と考え、開発されたベストセラー日本語教材をご紹介します。
木村宗男と平和のための日本語教育
2024年4月より日本語教育機関認定法が施行され国家資格「登録日本語教員」制度が開始されます。戦後の日本語教育の歩みの中でも大きな転換点を迎え、とりわけ、日本語教員養成は新たなフェーズに入ったと言えるでしょう。今回は、戦中・戦後に日本語教育に従事し、日本語教育学会の設立や教員養成に寄与した木村宗男に着目し、その活動と志向された平和のための日本語教育をご紹介します。
制度と事業(長洲一二、小出詞子、寺村秀夫)
中国での日本語教育の発展を支えた、市民による国際交流 ― 長洲一二元神奈川県知事の民際外交 ―
国際交流基金が3年に一度実施している『海外日本語教育機関調査』の結果がこのほど発表され、世界142の国・地域で385万人もの人々が日本語を学習していることが公開されました。この日本語学習熱を牽引するのが世界で最も多くの日本語機関数、日本語教師数、日本語学習者数を擁する東アジアであり、とりわけ、中国はその筆頭として量・質ともに世界屈指の日本語教育を展開してきました。中国における日本語教育の発展を支えた市民と市民とによる交流と、その構想を打ち立て実現した長洲一二元神奈川県知事の民際外交に着目します。
翼を授けてー小出詞子と日本語教員養成ー
現在、国内外における日本語教育への需要はますます高まり、教員養成のさらなる推進が急務となっています。国家資格「登録日本語教員」制度の開始や各種研修の充実、各機関における養成課程の拡充に取り組まれる中、日本語教員養成のあり方をめぐる検討は極めて重要なトピックとなっています。今回は、戦後の日本語教員養成課程の形成と人材育成に尽力した小出詞子に着目し、その取り組みと考え、追求された日本語教師の人材像と養成担当者の人材像についてお話しいたします。
卓越した日本語教育人材の育成-寺村秀夫による日本語教員養成の実践ー
今回は、およそ40年前に言語学者・寺村秀夫が展開した日本語教員養成の実践に焦点を当てます。寺村は日本語研究の世界的権威として広く知られていますが、日本語教員養成の分野でも先駆的な役割を果たしたことは、必ずしも広く認識されているわけではありません。本記事では、その具体的取り組みと意義を明らかにし、今日の日本語教育人材の育成に与える示唆を考察したいと思います。
執筆/田中祐輔
筑波大学教授(人文・文化学群日本語・日本文化学類/人文社会科学研究科文芸・言語専攻)。主な著書に、『日本語で考えたくなる科学の問い』(編著・凡人社)、『上級日本語教材 日本がわかる、日本語がわかる』(編著・凡人社)、『現代中国の日本語教育史』(単著・国書刊行会)、などがある。主な受賞に、第32回大平正芳記念賞特別賞、2018年度日本語教育学会奨励賞、第一回岩佐賞、第14回キッズデザイン協議会会長賞、2023年度グッドデザイン賞、第23回学事出版教育文化賞などがある。
*科学技術振興機構 researchmap:https://researchmap.jp/read0151200
*研究室: https://www.facebook.com/AGU.TANAKA.Lab
*映像アーカイブ『日本語教育100年史』:https://www.youtube.com/@archive-jle100
















