NJ

日本語ジャーナル:日本語を「知る」「教える」

日本語教師プロファイル佐久間みのりさん―日本語学校の存在意義を考えていきたい

2026年第1回目の「日本語教師プロファイル」では、横浜デザイン学院日本語学科教務主任の佐久間みのりさんにインタビューさせていただきました。デザイン学校に併設された日本語学科ならではの大変ユニークなカリキュラムについて、そこに至るまでの経緯とともに詳しくお話を伺うことができました。新しい日本語教育を志向していく際に、ヒントになることが多いのではないかと思います。 

モンゴルに憧れて

――日本語教師になったきっかけを教えていただけますか。

高校生の時にモンゴルに住みたいなと思って、モンゴルで何の仕事ができるかなと考えた時に日本語教師という仕事があるらしいと知ったんです。じゃあ、日本語教師になろうと思って、日本語教育をやっている大学を探して受験をしました。もともと移動する民族に憧れがあって、一つの場所に固執しないでどんどん移動していける人って強いなと思っていました。今はそれは留学生への尊敬にもつながっていると思います。

――なぜモンゴルだったんですか。

一つは椎名誠のエッセイを読んだことと、もう一つはモンゴルの少年がナーダムというお祭りにやってきて夏の1か月間をそこで過ごす映画を見て興味を引かれたんです。モンゴルへの気持ちは強くて、学生時代にモンゴル語をプライベートで習っていました。

――それで大学では日本語教育を専攻されたのですね。

学生時代は全くいい学生じゃなかったんですが、うちの大学は夜、日本語教育を学ぶ学生たちが地域のALTの外国人に授業をするという実習がありました。また北京大学にも教育実習で2週間ぐらい行っていました。そういう経験はとても面白く感じました。4年生の時、卒論は「モンゴルでの日本語教育」だったので、国際交流基金に紹介してもらって、モンゴルの2つぐらいの国立大学にアンケート調査をお願いしました。

新卒で横浜デザイン学院へ

――大学卒業後は、モンゴルへ?

そう考えたのですが、一度日本で教えてからでもいいのではないかということになり、就職活動をしました。その頃は新卒で日本語学校に入る人は少ない時代だったので、応募しても履歴書で落とされました。現在の勤務校の横浜デザイン学院だけ、書類選考で通って、模擬授業をさせてもらえたんです。後から、当時の教務主任の朝日恵子先生に模擬授業がよかったので採用したということを聞きました。授業の実習だけは大学時代に一番頑張って、たくさん経験させてもらえたので、良かったと思いました。そして、新人だからこそ教師として認めてもらえるように授業を本当に頑張ろうと思いました。初めのうちは想定問答集まで作って、授業準備にかなり時間をかけましたが、基礎力はそこで養われたかなと思います。

横浜デザイン学院では一つのレベルに固定して担当するのではなく、初級から上級までいろいろなレベルを担当させてもらいました。初めは週2回の非常勤でしたが、30歳ぐらいの時に専任講師になりました。専任になってからは授業だけではない仕事も増えていきました。

日振協研究大会委員になる

――そこからずっと横浜デザイン学院なんですね。

そうですね。新人の頃、授業をどうやって教えたらよかったんだろうと悩んだとき、職員室で先輩方がいろいろアドバイスをくださいました。でも私を採用してくださった教務主任の朝日先生は、私の机の上に本を置いてくださったんです。読んでみたら答えがあるかもしれませんよと。朝日先生にすごく憧れました。一度だけ行き詰まりを感じて、相談したことがあるんです。その時に日本語教育振興協会(以下、日振協)の研究大会の委員をやってみたらと言ってくださった。たぶんまた視野が広がるんじゃないかと。朝日先生も委員をやっていらっしゃったんです。

その頃、ちょうどCEFRが知られ始めた時代で、日振協では日振協スタンダードを作っていました。教務主任の朝日先生は、新宿日本語学校の江副先生などと一緒に取り組んでいらっしゃって、隣のデスクでその様子をすごいなと思いながら見ていました。時には私にも「佐久間さん、お子さんいるわよね。お子さんを幼稚園に行かせるときにどういう言語活動をする?」などと質問されて、あ、そういう視点で考えるんだということが分かりました。委員会では大先輩の先生方に本当にたくさんのことを教えていただきました。すごい日本語学校がたくさんあるから、うちも頑張らないといけないという思いを持つようになりました。

それから33、4歳の時に教務主任になりました。朝日先生が長年教務主任をやってきたので、経験の足りない私が教務主任になったからには、知識を貯めて、先生方の役に立つ情報を伝えないといけないと思いました。それで、毎月私が主催して勉強会をやりました。そうしたら非常勤の先生から、この先生のお話が聞きたいというリクエストが出るようになったんです。それで、内部の先生の刺激になり、外部の方も参加できるような開かれたセミナーを企画することになりました。コロナの前までは講師の方をお呼びして、年2回ぐらいやっていました。

エモいカリキュラムを作る

――現在のカリキュラムについて教えてください。

私はあまり落ち込むタイプではないのですが、コロナの時に少しだけ落ち込みました。今まで一緒にやってきた方が日本語教師をやめてしまったり、入国制限があったり……。それで変わっていく時代に合わせてどんなカリキュラムにしようかずっと考えていました。日本に来て生活しないと学べないこと、人と実際に触れ合ったり、手に取ったりが重要になるだろうと考えて、そういうエモいカリキュラムにしよう! と思いました。日本語でいろいろな人と対話し、季節感を大切にし、地域課題をテーマにしようと。

うちの学校の教育目標は「自己表現と他者理解」です。それを目標に先生方と相談したり勉強会で実践報告やアンケートをしながら改善を図ってきたのですが、具体的には、大枠を変えることなく上級クラスでフィールドワークとインタビューを中心にした1年間のカリキュラムにリ・デザインしました。前期は地域のいろいろなマイノリティの方に会いに行ったり、お呼びしたりしてインタビューをする。後期はもう少し地域のいろいろな方とお話しする。日振協の大会で他校の方とお話しすると、どの学校も地域ということにはかなり力を入れていると感じています。

いちょう団地や黄金町のフィールドワーク。そこに関わる地域の方にガイドを依頼

そして「地域」と言った時、ただ地域の方をお呼びするのではなく、自分自身がもっと地域のことを知らなければならないと感じました。うちの学校の近くには黄金町という町があります。ここは映画「天国と地獄」の舞台になった町で、もとは赤線があったり麻薬の売買が行われたりして治安がよくない場所でした。現在は住民と警察が一体となって違法風俗店を立ち退かせ、アートによって町の再生を行っています。その黄金町でフィールドワークをする活動を取り入れました。

黄金町のアート活動の拠点に黄金町エリアマネジメントセンターがあるのですが、実はこの活動を取り入れた後の1年目の卒業生が、そこに就職してマネージャーになっているんです。それでインタビューとフィールドワークを毎年お願いしています。

――かなりユニークなカリキュラムかと思いますが、学生の反応はどうですか。

カリキュラムは黄金町でのフィールドワークだけでなく、美術館と連携した授業もあります。なぜかというと社会課題というのは、アート、特に現代アートの世界では重要なテーマだからです。美大に行きたいような学生は、そのカリキュラムに積極的に参加しています。アンケートで「地域を深く知ることによって凧みたいだった自分がちゃんと地域と結びついた」とか、「マイノリティ、たとえばLGBTQが授業のテーマになることにすごく驚いたけれども、それを言ってもいいんだと思った」とか、エモい感想をくれた学生もいて励みになっています。「初級からもっとこういう活動をしたかった」という意見もありました。

教員たちの自主的な勉強会

――先生方の反応はどうでしょうか。

さきほどもお話しましたが、教務主任になったときに、私一人で毎月色々調べたり実践したりして、勉強会をしました。しかし嬉しいことにだんだん私の手を離れて、専任の先生の分業になり、その後、非常勤の先生方が自分たちで研究したり、教材を作ったり自主的にやる勉強会ができていったんです。現在では非常勤の先生方による漢字語彙研究会という勉強会があります。

上級クラスで自分の美術館を作るという活動があるのですが、そこに結び付けるために初級では東京都写真美術館の「色と形と言葉のゲーム」のカードを使って授業をしたりしています。また、アートカードを使うための教員研修も東京都現代美術館の学芸員の方にお願いしてやっていただいたり、神奈川県立近代美術館の方にもご協力いただいています。

カードを使って自分の言葉を表現する活動

もう少しクラスが進むといろいろなアート作品を見て表現していきます。さらに対話型鑑賞、そして自分の美術館を作るとなります。

そういった活動の際、先生方が自分でフライヤーを切って、アートカードを作ったり、言葉のカードを作ったり、カルタを作ったりしていますね。提案もしてくれます。うちは非常勤の先生の入れ替わりがほとんどなく、専任の顔ぶれもあまり変わらないので、長い間にそういう雰囲気が醸成されていったのかもしれません。もちろんこれは先生方のボランティアということではなく、仕事としてお願いできるようにしています。

上級の「自分の美術館」では、1年間自分たちが見てきた社会課題から自分でテーマを見つけ、表現します。それにキャプション、説明文をつけて展示するのですが、教師は二人ぐらいでそこに文章での評価を書いていくんです。この評価というのは数値化されたものではなく本の書評のようなことです。私は、まだ見つけられない自分を表現する言葉が他者の中にあるのではないかと思っているからです。そこで獲得していく言葉もあるのではないかと。

日本語だけでなく複言語が混ざり合うキャプションや展示空間

やはり「デザイン学院」の日本語学科なので、いろいろな国のいろいろな経歴の学生がいます。だから、いろいろな発見があり、学生に教えてもらうことも多く、面白いです。学園祭や卒業制作展は専門課程と一緒にやっているのですが、言葉だけでなく表現するということに驚かされるし、感動するし、それで他の先生方も続けていらっしゃるんじゃないかと思います。

胸を張って「私は日本語教師です」と言いたい

――これからやって行きたいことを教えてください。

やっていきたいこととは違うかもしれませんが、少し大きなことを言うと、新人の頃、「私は日本語教師です」と胸を張って言いたかった。昔は自分自身や目の前の学習者に対して、学校の先生たちに対して、今は社会に対しても胸を張りたいと思っています。そのためには社会の方に何か働きかけていくというか、どんな社会を望んで、その社会を実現するために自分がどんなことができるのかを考えて行きたいと思っています。黄金町のフィールドワークでもよく思うのですが、女性が好きな仕事につけるようになるまでにも、社会が変わる必要がありました。女性である私が日本語教師という好きな仕事ができるようになるまでには、社会を変えようとした人がいたんだなと思います。

今、日本語学校では文部科学省の認定を取ることが中心になってしまっているように感じますが、認定を取るためだけに教育課程を考えるのではなく、日本語学校の存在意義を考えたい。学校が変わるときは社会が変わるときです。ちゃんと自分たちの学校の教育に自信を持つようなカリキュラムと教員体制、そして評価を作っていくべきじゃないかなと私は思っています。そして国家資格としての「登録日本語教員です」ということではなく、「私は日本語教師です」と胸を張って言える社会を作るためにはどうすればいいのか、真剣に考えたいなと思っています。

――これから日本語教師を目指す人に何か一言お願いします。

今お話ししたことと同じですが、自信を持って日本語教師ですと言えるように一緒に頑張りましょう。

日本語教師の待遇とか働く条件も含めていい業界にしたいですし、学習者だけでなく教師のWell-beingも大切にしたいです。私自身まだ完全にそれを言葉にできないのですが、みんなで、それこそ対話しながら、いい教師、いい学校、いい社会のビジョンを作っていけるといいんじゃないかなと思います。

隔たれた向こう側へ! SpecialThanks LIN CHIH-HAO(フォトグラファー・卒業生のひとり)

――ありがとうございました。

横浜デザイン学院 日本語学科 https://www.ydc.ac.jp/jpn/jpncourse

取材を終えて

佐久間さんはビジュアルやイメージを大事にされていて、なんでもビジュアルから先に作るそうです。まだ言葉にできないものを表現すること。とても面白い発想だと思いました。好きな言葉は写真家、中平卓馬の「来たるべき言葉のために」。いつかその言葉が来ると思えるって素敵だとおっしゃっていました。

取材・執筆:仲山淳子

流通業界で働いた後、日本語教師となって約30年。9年前よりフリーランス教師として活動。