
今回の日本語教師プロファイルでインタビューさせていただいたのは、トルコ在住の市村美雪さんです。市村さんはトルコの西部にあるチャナッカレ・オンセキズ・マルト大学の日本語教育学科で、2005年より教鞭を取っていらっしゃいます。市村さんにこれまでの歩み、現在の活動、そして海外で教える際の心構えなどをお聞きしました。
うまく日本語を教えられなかった経験から
――日本語教師になったきっかけを教えて頂けますか。
大学時代、京都に住んでいて、在住外国人の方にボランティアで日本語を教える機会がありました。その時は日本語教育の知識は全くなかったのですが、日本語を話せるから大丈夫だろうと思って、参加したんです。でも、実際にやってみたら、うまく教えられませんでした。それで、次はもっとうまく教えられるようになりたいと思って、日本語ボランティア養成講座を見つけて、参加してみました。そうしたら、日本語ってこうなっているのかと、日本語を教えることは面白い仕事かもと思いました。海外にも興味を持っていたので、日本語を教えることができれば世界に行って、いろいろな国で仕事ができるかもしれない。それで日本語教師を目指してみようと思いました。
当時、日本語教育学会が主催していた日本語教育研修会の理論課程というのがあって、北浦和の国際交流基金日本語国際センターで行われていました。それで大学卒業後、アルバイトをしながら、そこに通うことにしました。日本語教師になる機会を窺っていたという感じです。
初めての日本語教師経験は中国で
それから、すぐチャンスが巡ってきたわけではなく、経験もないので、日本語教師として教壇に立つことは難しかったです。それで、また京都に戻って、予備校のチューターの仕事をやっていました。その予備校の系列の専門学校が中国の大学と提携を結んだんです。日本語を教える人が必要ということになり、推薦していただいて、中国に渡りました。そこが日本語教師としてのスタートです。1998年、中国東北部の瀋陽の大学でした。
――初めて日本語教師として日本語を教えてどうでしたか?
毎日刺激的でした。教師の仕事も初めてでしたし、なんと言っても中国という土地に住むことも初めてで。いろいろ日本とは違うことがあって、本当に毎日新鮮と言うか、驚きがたくさんあるというか。また学生たちが本当に熱心で、よく勉強することにびっくりしました。学生たちのモチベーションがとても高かったです。中国の東北地方なので朝鮮族の学生たちも多く、彼らは中学、高校でも日本語を学んで大学に来ているので、その時点で日本語がかなり話せました。一方で全く初めての学生もいて、一クラスの学力差は大きかったです。それは少し大変でしたね。そこに3年間勤めました。
ラオス、スリランカを経て、トルコへ
――帰国後はどうされたのですか。
日本に戻って地元の日本語学校で非常勤講師として教えました。でも、やっぱりまた海外に行きたい気持ちがうずうずしてきてしまって。その日本語学校は1年ほどで辞めて、次はラオスに行きました。それから今度はスリランカへ。民間の日本語学校で教えていました。ある日、スリランカの日本語教師会に参加したら、北浦和の理論課程で一緒に学んでいた方に偶然再会したんです。国際交流基金の日本語専門家として派遣されているということでした。そして、その方の前任地がトルコのアンカラで、それでトルコの話をいろいろ聞いて、トルコって面白そうだなと関心を持つようになりました。
そんな時にこのチャナッカレ・オンセキズ・マルト大学の求人をインターネットで見つけたんです!
スリランカの日本語センターで教えることも非常に面白かったんですけど、ちょっと残念に思っていたことがあって。そこは初級クラスがほとんどで、3か月の初級コースが終ったら続ける人は少ないんです。学習者が少なくなるとそのコースは閉めちゃう。そして、また新しい初級コースをオープンします。民間だから仕方がないんですが、せっかく日本語も上達し、コミュニケーションもできるようになり、関係もできたのに3か月経ったらさよならというのが私的には残念でした。
そんな時にチャナッカレ大学の求人を見たので、大学だったらもっと長期間にわたって学生と向き合えるのではないかと思いました。また、日本語教育学科ということで、現地の日本語教師養成に携われるということにもすごく惹かれました。じゃあ、ちょっと応募してみようかなと、専門家の先生にも相談したら、「トルコはすごくいいよ。チャナッカレの日本語教育はすごくしっかりやっているよ」とお勧めしてくださって。よしじゃあ、応募してみようと。そして応募したらラッキーなことに採用された、ということですね。
チャナッカレ・オンセキズ・マルト大学

――トルコで教え始めた時の印象はいかがでしたか。
素直な学生が多いと思いました。それから、手伝うことが大好きというような学生が多いです。こちらに来た時はトルコ語も全然分からない状態だったんですけど、同僚の先生方もいろいろサポートしてくださり、学生も手伝ってくれて、ここでの生活を支えてくれたというのがあります。
大学については教育学部に日本語教育学科が出来たのが1993年で、当時は1クラス18人、教員3人で始まったそうです。私が赴任した2005年では日本人教員が9人、トルコ人教員が1名でした。クラスは基本的に1学年1クラスなのですが、ここの特色として1年生に入る前に予備教育課程があります。予備教育課程は日本語だけを集中して学ぶプログラムです。この課程を合格しないと1年生に進めないので実質的には5年制ということになります。今は1年生から4年生までは1クラス約30人、予備教育課程は2クラスあるので、合計で約180人の学生が学んでいます。教員のほうは、現在はトルコ人4名、日本人4名になりました。
予備教育課程があるので、1年生に上がる段階では、ある程度日本語でコミュニケーションできる、読み書きできる段階ですね。1、2年生の間は中級レベルの日本語。そして専門科目である教育学のトルコ語での授業があります。3年生以降は日本社会、日本文学、言語学、日本語教育といった専門科目になり、日本語教授法、教材開発、4年生になると教科書分析、教育実習もあります。実際に周辺の中学校、高校に行って日本語教育の実習をするんです。その他にも、あちこちの小学校等からも声がかかります。ちょっと折り紙の授業やってくれないかとか、日本語教えてくれないかとか、漢字を教えてくれないかとか。そういうリクエストにはお答えしたいなと思って、私はコーディネーターとして、学生を送り出しています。学生にもいいチャンスだと思うので。
ただ少し残念なのは、トルコの日本語教育は高等教育が中心なので、初等教育、中等教育ではほとんど行われていません。大学でせっかく日本語教育に関して学んで正式な教師の資格をもらっても教える場があまりないんです。
そんな状況もあってか、学生の方ももともと教員志望で入ってくる学生は少なく、卒業生は日系企業に就職したり、航空会社に就職したり、教育とは関係のない分野に進むことが多いです。民間の日本語学校やオンラインで教える卒業生もいることはいるんですが。最初は日系企業の工場などで通訳として採用されたけれど、そこで従業員たちに日本語を教えてくれないかと言われて、日本語講座をやっていますという卒業生の話も聞きます。イスタンブールの高校に日本語の予備クラスがあって、そこで卒業生が採用されたりしています。
チャナッカレ一筋20年

――赴任以来20年間、同じ大学で教えていらっしゃるということですね。
そうなるんですが、私としては20年たった気が全然しなくて10年くらいかなという感じです(笑い)。
2007年から予備教育課程のコーディネーターになって、授業計画やチームティーチングの先生方の配置を考えたり、成績をまとめたり、学生の相談窓口になったりが私の仕事です。授業担当は予備教育課程の初級日本語クラスが多いですが、他にも1、2年生の中級の日本語科目、3、4年生のほうでは教材開発や教科書分析、教育実習も担当しています。
実はちょっと危機もありまして。私が採用された時には、採用条件が学部卒でも大丈夫だったんです。しかし時代が変わり、大学教員は外国人であっても修士以上をもっていなければならないということになりました。大学と私との契約は毎年1年ずつ更新する形で、国立大学なので国の機関である高等教育機構が最終決定をします。ある年の更新時に「あなたはあと半年です」と。更新も今回1回のみと通知されました。
どうしよう。これは日本に帰れということなのか。これまでの10数年は全く評価されないのかと思ってショックだったりしたんですけど、ま、よく考えたら修士が求められるのも当然だよなと。これからどうしようと悩んでいたんですけど、その前年に、日本語教育学科に修士課程ができたんです。あれ、ここで修士とったらいいかな? って思いまして、チャレンジしてみることにしました。そして予備教育課程は大学の学部の授業とは別のプログラムなので、予備クラスだけを教えるなら、契約は更新されたんです。
それで大学院の修士課程を受けている間は予備教育クラスを担当して、2年間すごしました。修士を取ったのち学部の授業も担当させていただけることになって今に至っています。
――20年同じ機関にいらっしゃるのは珍しいかなと思うんですが。
うーん、たぶん一番大きいのは、私自身が将来をあまり考えていないことでしょうか(笑)。また来年もいようかな、また来年も、という感じで続けてきて20年たってしまいました。それから、仕事を辞めたいと思う大きな理由の一つは人間関係かなと思うのですが、そういう問題がここにはありません。有難いことに教員同士も学生とも、いい関係が作れているのかなと思います。
また、ここは大学機関として決まったカリキュラムはあるんですけど、内容については柔軟で、こういうことをやりたいとなったら支えてくれる学科なんです。学科長も、どうぞどうぞ、やってくださいという感じで。やってみたいことを肯定的に受け止めてくれて、支えてくれる体制があると思います。チャナッカレという町自体も、小さい港町ですが、非常に過ごしやすい魅力的な町なので、生活面も快適に暮らせています。仕事として考えた時にもやりがいを感じていられるので、それが大きいですね。
大学院で学んで変わったこと
――トルコに来た時はトルコ語は全く分からなかったとおっしゃいましたが、今は?
トルコ語を本格的に勉強しようと思ったのは大学院に入るために準備していた時です。C1を取らないといけなかったので、必要に迫られて。それまでは耳から学んだトルコ語でサバイバルしていたんですが、改めて勉強してみるとトルコ語ってこんなに面白かったんだと気づきました。
そうすると、前よりも学生たちの日本語が凄く分かるようになりました。どうしてこういう日本語になるんだろうと思った時、あ、なるほど。こういうところからきているのか。トルコ語からの影響ですね。じゃ、教える時、こういうところに気をつけなければいけないとか、こういう説明をすればわかりやすいということが分かるようになった。ニュアンスの違いや使い分けなどをトルコ語で説明できるようになったのは大きいです。だから、最初の頃にやっていた授業と今とでは全然違うと思います。
大学院では「教師」「学習者」といった役割を越えて学び合う授業の実践とその効果について研究しました。長いこと日本語教師として教えてきて、上手に授業をしたいということは凄く考えていたけれど、それよりも前にある、学びとは何かとか、学ぶことによるお互いの関係性とか、そういうことまでは意識がなかったと思います。恥ずかしいですが、大学院に入って、初めていろいろ、あ、そうかそういうことを考えなければいけないのかと気づかされました。それで、学生との向き合い方が変わるという変化はありました。
あと、日本語教育学科の学部を卒業して大学院に進む学生もいますから、自分が教えた学生たちがクラスメートになるんです。入学試験で私を見てびっくりしていましたね。同じ学生として、お互いに励まし合いながら頑張る経験ができたのもとてもよかったと思っています。
茶道クラブで教えて

――大学は文化活動も盛んだとお聞きしたのですが。
はい、日本語教育学科にトルコ日本友好クラブという団体がありまして、いくつかのグループがあり、学科の学生たちはほとんど何かのグループに所属しています。書道、茶道、剣道といった伝統的なものから、アニメ、音楽、料理などいろいろ。活動は週に1回とか2週に1回。そして毎年1回日本デーという日本を紹介する学科のイベントがあり、日頃の自分たちの成果を発表します。かなり活発にクラブ活動が行われていると思います。
その中では私は茶道クラブを担当しているんですが、実は茶道はちょっとかじったことがある程度です。以前の担当の先生が日本に帰ることになって、このままだと茶道クラブは廃止になってしまう。でも続けたい学生がいる。どうしましょうということで私がやることになりました。だから本当は教える資格はないので、一緒に勉強しましょうというスタンスでやっています。
ただやっぱり道具や場所も限られていますので、毎年、私が日本に帰った時にちょっとずつ持って帰ってきて増やしています。畳もないのでテーブルで一番ベーシックな盆略点前を繰り返してするという形ですが、学生たちは結構それでも面白いみたいです。4年間続けてくれる学生もいたりして。前の年に茶道クラブをやっていた学生が後輩に教える、先輩に習うという形もできているので、これはこれでいいかなと。
お抹茶も日本に帰った時に買って帰るんですけど、実は今、トルコでも抹茶ブームがきておりまして。いろんなカフェで抹茶ラテが飲めるんです。抹茶自体もチャナッカレのスーパーでも買えます。ストロベリー抹茶とか、マンゴー抹茶とかおもしろいアレンジがされていたりするのもあります。その影響か部員数も過去最多の32人になりました。
お菓子に関しては、最初はトルコの市販のお菓子を使ったりしていたのですが、せっかくなら日本のお菓子を紹介したいなと思い、自分で作るようになりました。トルコにある材料でできそうなもの、ミニどら焼きから始めました。意外とあんこが学生たちの口に合うみたいで喜んで食べてくれます。そうするとこっちも、もうちょっといろいろ紹介したいなと思って、YouTubeで作り方を見て。材料はほとんどが豆なので手に入りますから。
2年ぐらい前から練り切りも作るようになりました。練り切りでいろんな形を作って出すと学生たちも喜んでくれるんです。できるだけ日本で実際に提供されるものに近い形を紹介したいなと思って、毎週何か作っています。
お菓子を作ると学生たちがそれにも興味を持って自分たちで作りたいと言ってきます。レシピを共有すると自分たちでお菓子を作ってみましたと言う学生もいて。この間は茶道部だけでなく料理部のほうにも進出して、男子学生が「イチゴ大福を作りました! 先生のレシピで」と持ってきてくれて驚きました。そういう喜びがありますね。作り方を習いたいという学生も多くて「練り切りワークショップ」も行いました。

日本語教育もお菓子のワークショップも

――これからやっていきたいことを教えてください。
日本語教育とは離れますが、「練り切りワークショップ」「和菓子ワークショップ」みたいなものを、もうちょっと一般向けにもやってみたらおもしろいかなと思っています。例えば親子で参加するとかもいいかな。
日本語教育に戻ると、2年ほど前からですが、2年生のある授業で、卒業生にインタビューをする活動をやっています。インタビュー自体はトルコ語で構わないんですけど、インタビューしたものを日本語でまとめて、クラスでそれを発表します。私が卒業生にコンタクトを取ってお願いして、学生がグループを作ってオンラインでインタビューをするのですが、すごくつながりができたりして、いい効果があります。
2年生ぐらいだと日本語に対するモチベーションが下がってしまう学生もいるんですね。将来に対してすごく不安になってしまう学生達、若干閉塞感が漂ってしまうことがあります。そんな時に、いろんな年代、いろんな分野で働いている卒業生に話を聞くと、いろいろチャンスがあることが分かってきます。また先輩の方も後輩と話すことによって新鮮な気持ちになったと言ってくれます。実際にインタビューをした先輩の紹介でインターンシップの経験ができたという学生もいました。こういう活動は続けていきたいと思っています。
学ぶ姿勢を忘れずに
――これから海外で日本語を教えたい人になにか一言あればお願いします。
日本にいる時に「何でもやってみる!」ことをおすすめします。たとえば茶道、私はちょっと習っただけなんですけど、ここで活かすことができましたし。少しやったことでもその後生きてくるということがあるので、日本語教育とは関係のないことでもどんどんいろいろなことをやっておくといいんじゃないかなと思います。
それから最初はもちろんその国の言葉はできないのが普通だと思うんですけど、やっぱりその国の言葉を学ぶ姿勢は大事かなと思います。言葉を学ぶことで学習者と同じ立場にもなれるので。実習を終えた学生の言葉で印象に残っているのが「子どもたちに日本語を教えることは、子どもたちに別の世界があることを教えることだった」という言葉です。本当にその通りだなと思いました。一つ言葉を習うことは、その人の中の世界が一つ広がること。その人の人生の選択肢が広がることなんです。そういう気持ちで学生たちと向き合っていきたいなと思っています。
取材を終えて
「私は本当に教師に向いている人間じゃないので」とおっしゃる市村さん。「教師に向いている人間じゃないから、させてもらっているという気持ちでいます」という言葉に本当に共感を持ちました。
取材・執筆:仲山淳子
流通業界で働いた後、日本語教師となって約30年。8年前よりフリーランス教師として活動。



