
先日、アルク主催で「生成AI×日本語教育」というタイトルのオンラインセミナーを開催しましたが、関心が高い方が多く大変盛況でした。AIの活用に注目が集まり、今後、日本語教師の授業準備などになくてはならない存在、あって当たり前、になっていくでしょう。ではそんな時代に日本語教師はどう存在していくのか。「人間の教師」でなくてはならない意味とは。今回はそのようなことを最近のテーマとして追及している石原えつこさんに、これからの日本語教師の役割・教室の役割について執筆いただきました。連載第4回目です。
人間の教師の皆さん、こんにちは。
この連載は、生成AIを活用する一方、人間の教師に残された役割とはなにか、悩み始めてしまった一日本語教師であるわたしが、あれこれ悩みつつ、試行錯誤しながら教育実践している様子を生中継する、という実験的な企画である。
第1回目は「人間である日本語教師」の役割とは ①人間らしさって何?
第2回目は「人間である日本語教師」の役割とは ②身体を持つ人間としての価値
第3回目は「人間である日本語教師」の役割とは ③交流の場を創る
役に立つのか立たないのかと言ったら、あんまり役に立たない記事かもしれないが、役に立つことは生成AIに聞けちゃう時代になったので、なんというか生っぽい感じを大事にして書くという試みをしているわけである。その中に、何かしらのヒントがある……かもしれない。
本日は、「教室に生成AIがやってきた」の巻である。
プライベートレッスンに生成AIがやってきた
ベトナム人女性Gさん
わたしが初めてChatGPTを授業で使ったのは、ベトナム人女性Gさんのプライベートレッスンだった。村上吉文先生の生成AIのワークショップを受け、導入してみようと思ったのだ。Gさんに日本語を教えるようになって、ベトナム人学習者が使えるような日本語の辞書がないことを知った。出版社にも聞いて回ったのだが、どこも「ベトナム語のいい辞書、ないんですよねぇ」と言う。Gさんと二人で日本語教育専門の本屋も行ったが、これといったものは見つからない。しかたがなく、Google Translationを使っていたのだが、ご本人も「これおかしいね」とよく言っていた。
そこで、ChatGPTを試すことにした。プロンプトっていう指示文を入力すると、答えてくれるんだよ、とデモしたら、彼女の顔に驚きが広がった。
「先生、なにこれ。すごい!」
ちょうど意向形を勉強しているときだった。「将来、なにをしようと思っていますか」という質問に対し、自分の将来やってみたいことを言う練習をしていた。Gさんが「“将来”と“未来”ってなにが違う?」と聞いてきたので、「ChatGPTに聞いてみたら?」と促した。
画面越しに、彼女がベトナム語でプロンプトを打つのが見える。即座に、ChatGPTが答えを生成する。「“未来”は遠いこと、“将来”はもっとすぐ来ること?」とGさんが日本語で言った。「そう! そうそう!!」と二人で大喜びしたのだった。「やっといい辞書があった!」と彼女が叫ぶ。あっという間に、「未来」と「将来」の違いが分かったので、将来の計画、夢についてたっぷり話した。あんなこともこんなこともしようと思っている。できるかな、できるよ。なんだか楽しみになってきた。二人でとっても胸が熱くなったのだった。
この日から、GさんのChatGPTの活用が始まった。Gさんは夢中になった。
そして、レッスンの中に、ChatGPTが常にそこにある状態が生まれた。
なにか分からない単語があると、彼女がすぐに調べる。わたしは、彼女が調べている間、待つ。
調べ終わると彼女が、「~ということ?」とわたしに日本語で確認する。全部あっていた。わたしはベトナム語がわからない。ChatGPTがベトナム語の生成において、どこまで正しいか、半信半疑だったので、必ずこのひと手間を加えていた。ことばの説明に費やす時間がレッスンから消えた。その代わり、練習の時間が増えた。
「将来」と「未来」の意味の違いを説明することはAIに任せ、人間の教師であるわたしは、たっぷりと将来の夢を聞き、質問し、感心したり、びっくりしたり、涙ぐんだりする。「日本語」のレッスンが消え、今までとは明らかに違う時間が出現する。
あんなことをしたいけど、今の日本語力じゃ無理だから、もっと日本語をがんばらないと。
そうか。がんばっているね。すごいな。応援しているね。
これからも日本人社会でマイノリティとして生きていく彼女の苦労。祖国から離れていく孤独感。中国やシンガポールで何度も泣いた自分に重なっていく。でもね、もがいてもがいたその先に、なにかが見えてくるんだ。だから、悩んでいい。そんな想いがわたしの心の中でひっそりと生まれる。
生成AIの時代、どんな教師も、教室に優秀なアシスタントをおけるようになる。そして今まで人間の日本語教師に届かなかったところを手伝ってくれるようになる。
生成AIとタッグを組んだ人間の教師は、さらにその先に、学習者を連れていけるようになる。
ビジネス現場で日英通訳を期待されるMさん
わたしは日本語と英語のプライベートレッスンを10人程度教えているが、そのすべてのレッスンで次々と生成AIを導入した。
2人を除き、まだ誰も日常的に使っていなかったので、簡単なやり方をデモする。みな口をあんぐりさせて驚いた。いろいろな質問を投げかけて、感嘆の声を上げている。みな、すぐに日常的に活用するようになった。
仕事ですでに使っていた2人には、その人のレベルに合わせたプロンプトを一緒に考えた。例えば日本語能力試験のN2にだいぶ前に合格したけれど、その後日本語を使う機会がぷつりとなくなってしまったアイルランド人のMさんがいる。転職したら、日本語の通訳としての役割が期待されるようになってしまい、困っていた。普段は、生成AIで訳文を生成して、通訳しているらしい。通訳を聞かせてもらう。彼女のレベルに合っていない上級の表現がいくつも使われていた。「自分でもなにを言っているかわからない」とため息をつく。わたしはこう提案した。「プロンプトに“JLPTN4レベルの日本語に訳して”“なるべく単文で訳して”って入れてみて。語彙がビジネス語彙だらけだから、文法が初級レベルでも十分プロっぽく聞こえるはず」
青い顔をしていた彼女の顔に、安堵の表情が広がる。「弊社は、~を開発しています。専門は~です」
初級レベルの文法に、ビジネス単語を盛っていく。「へいしゃ、へいしゃ、へいしゃ」「かいはつしています、かいはつしています、かいはつしています」と呪文のように何度も唱えた。
立派に日本出張で任務を遂行。うちにも遊びに来てくれた。
ネパールの孤児を支援しているTさん
ネパールの孤児を支援しているTさんは、孤児院に訪問するとき、子どもたちと英語でお話したい、とわたしのレッスンを受講していた。子どもたちに、どうしてネパールに来るのか、など英語であれこれ質問されるのだけれど、いつも十分説明できなくてもどかしい、と言う。ネパールへの思いを紙芝居みたく写真を見せながら、お話してみればと提案した。Tさんは、SNSでも活発に発信していたから、日本語での文章はすでにできあがっていた。それを、生成AIにかけ、英訳してもらう。「たまちゃん(うちのChatGPTの名前)、Tさんがネパールの子どもに語りかけるよ。子どもが理解できるような、それでいて気持ちがこもる英語に訳して。子どもたちは、英語がわかるけれど、ネイティブスピーカーではないよ。初級レベルの英語でお願い」というプロンプトを考える。
生成された英訳を二人で一文ずつ声に出して確認する。言いにくかったり、しっくりこない文章を再度生成AIにかける。「類似表現を5つ出して」といつも指示する。その5つの中から、一番しっくりする表現を選び、置き換える。この作業を繰り返す。すると、文章にぽっと心がともる。
出来上がったスピーチを、わたしが読み、録音する。心を込めて読む。文章に強弱がつき、間が生まれる。読みながら、なにかがこみあげてくる。
その録音を聞いたTさんが驚く。「わたしが憑依してるみたいだ!」
レッスンの日は、そのスピーチの練習をしながら、Tさんが毎回泣く。何度もしてきた日本語でのスピーチが、英語になって現れる。慣れてしまった日本語でのスピーチが、英語でよみがえる。あの頃の生々しい気持ちを伴って。その様を見て、わたしも泣く。
Zoom越しに、涙と鼻水を拭いているお互いを発見し、泣きながら笑う。
伊藤泰雄著『哲学入門』の一節が脳裏に浮かぶ。
「(機械や動物が)音声を含めた人間の身体的動作による複雑な喜怒哀楽(たとえば、泣きながら笑い、笑いながら泣く、嬉しいけれども悲しい、悲しいけれども嬉しい、というような)の感情表現を模倣することは、かなり困難であるように思われる」(伊藤:39)
こういうことか。涙と鼻水を拭きつつ、泣きながら笑う教師。生成AIとは全く次元の違う存在である。
ネパールの孤児院に訪問したTさんから、紙芝居風スピーチを披露している写真が送られてきた。たくさんの子どもたちにもみくちゃにされて、はじけるような笑顔のTさんがうつっていた。「わちゃわちゃして、涙どころじゃなかったわー!」
文に乗せられたTさんの思いに、調和する。苦しかった思い、悲しかった思い。そしてその先にたどり着いたビジョン。揺れ動く心の機微。そこを一緒に漂う。泣きながら笑う。ことばの教室のその先が見えた気がした。
第3回目「人間である日本語教師」の役割とは ③交流の場を創るでも触れた村上吉文先生のご著書『AI時代の冒険家メソッド: 大規模言語モデルを活用した自律的な第二言語習得』で紹介されている本がある。らいけん著『教師のためのChatGPTガイド』だ。村上先生イチオシの本である。
「教師はファシリテーターとしてAIと学習者の間に入り、学習者が目標を達成できるよう、AIではうまく対応ができない、人間性を必要とする部分に対応します。教師は社会性と情動の学習により重点を置くことになるでしょう。人間の教師が共感力、対人関係スキルなど、人生において重要な社会性と情動のスキルを教える上で重要な役割を果たすことになるでしょう。あるいは、論理や合理性だけでは説明しきれない、人間の持つ矛盾した感情や悩みへの対応を行います。」(らいけん:174)
生成AI時代、人間の教師の強み「共感」「情動」「人間の持つ矛盾した感情」で、ことばの教室は、なにか違うものに進化する。
ネパールでの孤児院訪問が実現して、英語のレッスンは終了した。けれどTさんが、「えつこさん、生成AIのワークショップ、やってもらえない?」と言い出した。Tさんの主宰するアカデミーで、日本語教師向けの生成AIのワークショップをしてほしいという。「わたし、生成AIの専門家じゃないし」といったん断ったのだが、「そういうことじゃなくて、語学教育にどう活かすか、ということを教えてほしいの」と彼女が言った。
こうしてわたしは日本語教師の方々向けに、生成AIのワークショップをするようになった。
大学の留学生たちにも生成AIがやってきた
ベトナム人学習者のGさんに生成AIを導入したのは、教師であるわたしだったが、大学でビジネス日本語を教えている留学生たちは、Open AIのサム・アルトマンがChat GPTをリリースして大騒ぎになったころ、教えずとも、使うようになっていた。大学の初回の授業のとき、自己紹介をその場で考えてもらい、話してもらう。おなじみの風景だろう。すごくいいことを言うので、質問を投げかけたら、通じない。自己紹介を考える5分の間に、自己紹介の原稿を生成AIに任せていて、自分でも何を言っているか分からなかったからである。学期初日、出会った瞬間から生成AIの洗礼を受ける。
大学教育では「使用を禁止する」「制限する」という話もちらほら出ていた(いる)が、正直どう扱うか、世界中が悩んでいた(いる)。プライベートレッスンで、AIを活用する効果を実感していたわたしは、「禁止する」というのは、ちょっと違うよな、と感じていた。禁止しても、こっそりと使い続けるだろうし。けれども、自分が何を言っているか理解しない文章を言うのも違う。
そこで、「生成AIについて考えよう」という課題を出してみた。①学習、②就職活動、③仕事における活用のいい点と悪い点を整理し、どう活用するのがよいのか―自分なりの活用指針を考えさせたのだ。
いい点は当然たくさん出てくる。普段活用しているので、とても具体的に書いてくれる。けれど、その悪い点に関しても、留学生たちはきちんと認識した。使いすぎることで、自分で考える力がなくなるかもしれない、という危惧を、悪い点として多くの学生が指摘していた。自分の脳が勉強しているのではない、ChatGPTが代わりに勉強しているみたいだという指摘がわたしの心に残る。
この課題をもとに、クラスで話し合った。わたしも意見を言った。生成AIは、外国語学習に大変な効果があると感じていること。形式が大事なビジネスメールなどは、どんどん使えばいいと考えていること。けれど、では人間のことばはどこへ行くのか、わたしたちのことばは、これからどうなっていくのか。そもそもわたしたちはどうことばを生んでいるのか、考えるようになったこと。
結論は出ないままだった。
ただ、学生たちの「乱用」が止まった。わたしは禁止ともなんとも言わなかったが、学生たちが自分たちを律しながら、使い方を考えながら使っているような姿勢が見られるようになった。
らいけんさんは、知識の伝達を主導するのはAIチューターの仕事となり、学習者にAIの活用法を指導したり、ファシリテーターとしてAIと学習者の間に入るのが人間の教師の仕事となるという。(らいけん:173)
プライベートレッスンでは、「学習者にAIの活用法を指導」してきた。
そして、大学の教室でわたしがしたのが、まさにこの「ファシリテーターとしてAIと学習者の間に入る」だ。
生成AI時代、教師は答えを与えない、いや、与えられない。ファシリテーターとして学習者とAIの間に入り、ともに悩み、ともに答えに向かっていくしかないのである。
参考文献:
伊藤泰雄(2023)『哲学入門 第3版:身体・表現・世界』学研メディカル秀潤社
村上 吉文(2023)『 AI時代の冒険家メソッド: 大規模言語モデルを活用した自律的な第二言語習得』Kindle 版
らいけん(2023)『教師のためのChatGPTガイド: AIを活用した教育の手引き』 Kindle 版
石原えつこ
武蔵野大学グローバル学部 グローバルコミュニケーション学科非常勤講師。静岡日本語教育センター理事。戸田アカデミー講師・主任メンター。シンガポール日本語教師の会理事その他いろいろ。中国杭州の桜花日本語学校で3年、シンガポールのシンガポール国立大学等で15年日本語教育に携わる。息子の難病・障害を機に本帰国し入院・通院・療育中心の生活に突入も、現在は少しずつ自分のキャリアも再開。ビジネス日本語を教えることになり、ビジネスってなんだと悩んだ末、ビジネスを始めてみることに。現在、英語、日本語のプライベートレッスンを商品化している。推しはヘラルボニー。「異彩を放て」ということばの力強さ、新しい未来への予感に祈りを託している。



