
今回「日本語教師プロファイル」では『日本語教師、外国人に日本語を学ぶ』(小学館)の著者であり、日本語教師、ライターである北村浩子さんにインタビューさせていただきました。FMヨコハマで20年以上ニュースアナウンサーをされていた北村さんがいかにして日本語教師となったのか、著書を執筆された経緯などについてお話を伺うことができました。
周りからの勧め
――日本語教師になる前はアナウンサーをされていたということですが。
ええ、声の仕事をしたいとずっと思っていて、短大を卒業した後、一般企業に就職したんですが夢を諦めることができずに会社を辞めて地方のFM放送局にアナウンサーとして入社しました。そこで3年半ぐらい勤めたんですけど、首都圏でアナウンサーとしてやってみたいという野望を持ちまして、東京の実家に戻りました。ただ、そんなに簡単にアナウンサーになれるわけもなく、ハローワークに通ったりしていたんですね。そんな時に母が日本語教師っていう仕事があるみたいだよって教えてくれて。アルクの通信教育の教材を取り寄せて数か月勉強し、日本語教育能力検定試験を受けましたが、玉砕。検定試験はとにかく難しいという記憶しか残りませんでした。
そのすぐあと、幸運なことにFMヨコハマのオーディションに合格したので、日本語教師の仕事はちょっと忘れて、契約アナウンサーとしての仕事をするようになりました。その仕事が思いがけず長く続いたんです。
それから40歳くらいになって、この先アナウンサーとしてやっていけるんだろうかと考えていた時、同じ番組の放送作家の女性が突然「私、日本語教師になったの」って言ってきたんです。かつての検定試験の記憶がよみがえってきましたが、話を聞いてみると彼女は独学で勉強をして検定試験に合格し、養成講座で実習のコースだけを取って、今は日本語学校で教えているのだと。
私はびっくりして「わあ、すごいね」としか言えなかったんですが、彼女が1冊の本を私に渡して「ひろこたんも(彼女は私を「ひろこたん」と呼んでいました)これをやるといいよ」って。それがこのアルクの『日本語教育能力検定試験 合格するための本』です。今でも大切に取ってあるんですが、中を見るとたくさんラインが引かれていたり、付箋がつけてあったりします。彼女はこれを繰り返しやって検定試験に合格したということでした。


――お母様や、放送作家のお友達はどうして北村さんに日本語教師の仕事を勧めてこられたのでしょうか。
うーん、母の場合は働いてほしいということだったと思います。27歳の娘が実家に帰ってきて無職で鬱々としているわけですよ。だから何かこの子にできる仕事はないのかと考えたのだと思います。
友人の場合は、何故私に日本語教師を勧めたのかは聞いていないんです。私がニュースルームでいつも本を読んでいたので、あなたも言葉に興味があるでしょ? って思ったのかもしれません。
知識を得られる楽しさ
――それで再び日本語教師を目指そうということになったわけですね。
はい。しばらく考えましたが、やはり何か資格を取るということが自分の人生にとって必要なことかなと思い、アナウンサーの仕事を半分減らして、千駄ヶ谷日本語教育研究所の日本語教師養成講座に通うことにしました。それが2008年の4月だったと思います。半年間毎日通って、その年の検定試験を受けて、今度は合格しました。
――かつて勉強した時は難しいと思われたということですが、養成講座に通われてどうでしたか。
それが、私の人生の中でも大変興味深く楽しい経験でした。今思い出しても、もう一度受けたいぐらいです。文法、比較言語学、教育心理、音声等、難しいことには変わりはないのですが、その難しいことに挑戦しているという充実感がありました。疑問があれば先生に質問もできるわけですし、そういう環境にいられることがすごくよかった。朝5時にラジオ局に入って正午まで仕事をして、1時から養成講座で5時ぐらいまで勉強と、肉体的にはかなり大変だったんですけど授業は本当に楽しかったです。
――養成講座では実習も経験されましたか。
ええ、学習者役の外国人を集めてくださって、その方たちを相手に初めて授業をしました。人前で話すことには慣れていましたが、日本語が全く分からない人に絵カード、文字カードを使って教えるのは、もう冷や汗しか出ない経験で、思い出したくないです。(笑い)
先輩や学生に助けられた新人時代
――その後、日本語学校で教え始めるのでしょうか。
そうですね。アナウンサーの仕事も続けながら2009年から神奈川県の日本語学校で非常勤講師として教え始めました。ここは、いい先生がたくさんいらっしゃって、新人である私にとても親切に教えてくださいました。教案を見せてくださったり、授業にもどんどん入って見学をしていいと言っていただきました。とても恵まれていたと思います。歴代の先生方が作ってきた教案のファイルがあって、自由に見ていいということになっていました。勉強会や研修会もありましたが、教えるのに難しい項目があった時には、個人的に専任の先生にアドバイスをもらったりしていました。
――それは、いいですね。
実は、途中お休みをもらったり、コロナで休校になった時もありましたが、断続的に今もこの学校で教えています。
――居心地がいい学校なんですね。授業を始めて担当された時はどうでしたか。
そうですね。初級の初めから担当しました。このインタビューのために振り返ってみたんですが、あの頃には戻りたくないという気持ちでいっぱいですね。当時を思い出すと学生に助けられていたなと思います。ある時、「写真にうつす」というのを教えた時だったか、ある学生が「先生、『うつす』は他にどんな時に使いますか」って聞いてきたんです。でも、私は全然思いつかなくて、何だろう何だろうと思っていたら、一人の学生が「友達の宿題をうつす時も使います」と言ってくれたんです。おろおろしてうまくいかない教師をみんなが受け入れてくれたという気持ちですね。
複数の仕事を持ちながら

――それからはアナウンサーのお仕事、日本語教師、さらにライターもされているということですが。
そうですね。現在はラジオの仕事はもう終わっているのですが、本の紹介番組を担当していたことがあって2000冊以上の作品を取り上げました。そこからライターとして書評を書く仕事、インタビューの仕事などもやっています。
――相互の影響というのはありますか。
それは確実にあって、日本語教育の方では発音の授業や読解の授業を持たせてもらったりしています。アナウンサーとしては自分の発音が外国の人にどう聞こえているんだろうかとか、一つ一つの音のことは考えるようになったと思います。
――現在、日本語を教える仕事は日本語学校だけですか。
いえ、プライベートレッスンもやってみたいと思って、大使館の参事官、書記官の方々や、大使のご家族などに日本語を教える仕事をしたこともあります。それからオンラインでのレッスンも要望があった時はやっています。
日本語をマスターした“達人話者”との対話
――ご著書を読ませていただきました。これはどういった経緯で書くことになったのでしょうか。
実は、Twitterで「日本語を学んで、日本語を自分のものにした人に、頑張って学んでいた頃の景色を教えてほしい。どんなふうに日本語の世界を見ていたのか、もう上達している人の言葉で聞いてみたい」って呟いたんです。そうしたら小学館の編集の方が見てくださって、知り合いの編集者を通じて声をかけてくださったんです。それでネットのNEWSポストセブンというサイトにインタビューを一人ずつ掲載していただくという形で連載していたものを1冊にまとめた形です。
これは思ったより楽しかったです。インタビューの内容を考えている時も、お話を聞いている時も、原稿をまとめている時も。思いがけないたくさんのいい言葉をいただくことができました。最初に韓国人ミュージシャンのKさんにインタビューをしたのが2023年の春ごろで、9人目のジョージアの特命全権大使ティムラズ・レジャバさんのところに伺ったのが2024年の8月ですから、1年3、4か月かけてやりました。自分がいろいろな人を巡って旅をしてきたような気がします。
言葉を届けること
――これからも声のお仕事、ライター、日本語教師、それぞれをなさっていきたいとお考えですか。
そうですね。幾つかの仕事をしていると自分の視野が狭くなることを避けられるという面があると思うんです。ですから、今のようにいろんな仕事を並行してやっていけたらいいなと思っています。
――すべて言葉に関するものですよね。
そうですね。書評を書くために本をたくさん読まなければならないし、教える時はどうやったら分かりやすく教えられるだろうって、確かに言葉のことばかり考えていますね。
今、授業準備はできるだけ短くしたほうがいいという流れがあるかもしれませんが、私は全然効率的にできなくて。私の場合、教案を書くというより、まず自分の中でシミュレーションをして、学生たちの顔を思い浮かべながら、どんな風に進めていくか、こうやったらどんな反応があるかなど想像する作業がないと授業に臨めないタイプなんです。
――これからやっていきたいことを教えてください。
今、SNSで「外国人」という言葉に対する反応がとても気になっていて、日本語教師としてできることがあるんじゃないかと思っています。一つには日本人が外国人を排除しようとすると私たち日本語教師にも影響が及びますよね。日本語を学ぶ外国人がいなくなれば、私たちも追いつめられる。どういうアプローチで話していったらいいかはいろいろあると思うんですけど。「外国人」=「怪しい」「怖い」「嫌だ」というような直線的なイメージを持っている人たちに、言葉を届けることが日本語教師としてできることではないかと思います。人の考えを変えることは簡単ではないので、少しずつ根気よくやっていくしかないと思いますが。
日本人としての誇りというなら、日本語をどのくらい知っていますか。こういう日本語を外国人は学んでいるんですよ。すごいと思いませんか? 等、ぶつかり合うような攻撃的な方法ではなく、近づき合いながら考えを交換する方法があるのでは? と思っています。今回の本を読んでもらうこともその一つになるのかなと思います。
思ったより大変な仕事です
――これから日本語教師を目指す人に何か一言お願いします。
うーん、実はこれから日本語教師になりたいという方に、もちろん頑張ってほしいんだけれども、思ったより大変な仕事だよって言っちゃいそうな気がするんです。希望とかやりがいがあるということの前に大変だよねと。私の場合は、検定に受かって資格を得たので、分からずに飛び込んだという現実がありますし。今はいろいろ情報があって、定年後や第二の人生として始める方もいるかもしれませんが、思ったのと違ったということになりがちなのかな。社会貢献とか国際交流というのとも違う。そういう言葉に依拠しない仕事なのだということです。
これから日本語教師になる方には、最初は自分のことで精いっぱいになりがちですが、目の前の学生がどんな目で自分を見ているか、学生がその時間を楽しんでいるかということを一番に考えて授業をするといいと思います。アドバイスがあるとすればそれですかね。
取材を終えて
現在教えている上級のクラスでは、村上春樹のエッセーを教材として使っているそうです。読解というと答えを探す活動になってしまいがちですが、内容を楽しみながら発音も高めていこうとなさっているとのこと。アナウンサーでもあり、たくさんの本を読んでいらっしゃる北村さんならではの授業なのかなと様子をもっと知りたくなりました。
取材・執筆:仲山淳子
流通業界で働いた後、日本語教師となって約30年。8年前よりフリーランス教師として活動。




