
現代の日本社会では、日本で生まれ育った人々に加え、海外にルーツを持つ多様な人々が日本語を用いながら生活しています。そうした「日本語話者の多様化」が進むなかで、どうすれば誰にとってもわかりやすく、伝わりやすいコミュニケーションができるのかが、大きなテーマになっています。このことに早くから向き合おうとしたのが、国立国語研究所の野元菊雄による「簡約日本語」の提案でした。1980年代から90年代にかけて議論されたこの試みは、日本語学習者にとって学びやすい日本語を構想するもので、多くの賛否を呼び起こしました。今回は、この「簡約日本語」をめぐる議論を振り返りながら、それが今日の「やさしい日本語」や多文化共生社会の実現に向けた取り組みにどのような示唆を与えているのかを考えてみたいと思います。
日本語の国際化と簡約日本語
簡約日本語とは、日本語学習者が効率的に言語能力を獲得できるように、文法・語彙などを整理・単純化した日本語のことです。開発の中心を担った野元菊雄*1は「国際共通語としての日本語を世界により広く進めるためには日本語のむずかしい点を取り払いエッセンスとしての日本語を創り出す必要がある。これを『簡約日本語』と称する」*2と述べ、体系的なやさしさを備えた言語形式の開発が不可欠であることを提唱しました。
簡約日本語の発想は1978年頃から書籍や雑誌で発表されていましたが、社会的に関心を集める契機となったのは1988年2月26日の朝日新聞夕刊記事でした。記事では、簡約日本語として①語尾を「です」「ます」調に統一、②動詞の活用は原則として「ます」に連なるものに限る、③約千語の基本語彙を設定し段階的に教授する、④多義語は一語あたり3つの意味までとする、⑤以上の範囲において漢字も指導するという案が紹介され、次の具体例が掲載されました*3。

下図に示すように、当時の日本は経済的な存在感を世界に強く示し、科学技術や社会制度、さらには文化に至るまで国際的な関心を集めていました。ビジネスや文化活動を通じて日本と関わる人々が増え、とりわけアジアでは日本語学習者が急激に増加しました。これにより、日本語に対する需要や国際的な利用拡大への期待が高まる一方、「日本語は難しい」というイメージや学習上の障壁も浮き彫りとなりました。日本の技術や文化、学術的成果を世界に共有し、経済・外交・文化交流を円滑に進めるため、日本語を国際社会で広く活用できる言語としようとする議論が活発に展開されました。まさに、日本語の国際化が本格的に模索された時期だったといえます。
こうした背景の下、野元は「アメリカ英語なみとはいかないまでも、日本語をドイツ、フランス語程度には普及させたい」*4と考え、Voice of Americaの1,400語に限定したわかりやすい英語による放送や、過去に取り組まれた日本語の平易化などの事例にも目を向けつつ、国立国語研究所での研究成果を基盤に、科学的根拠に裏付けられた「簡約日本語」を提案したのです。

内外の反応
野元の主張は一部の識者から支持を得たものの、全体的には反対意見が多く寄せられました。日本で生まれ育った人々からは「物笑いになるような日本語を外国人に教えるのは罪深いことである」*5といった声があがり、また、外国にルーツを持つ人々からは「加工日本語は、加工チーズと同様に味気ない。単純化された日本語は、必要性があるにもかかわらず、通常の日本語から離れすぎると無意味ではないか」*6「“簡約日本語”という人工語は、むしろ通常の日本語を理解する上での妨げにはならないだろうか」*7といった指摘がなされました。日本語学習/教育の便宜上の取り組みに対して、日本語そのものを変質させるのではないかという不安や、人為的に手を加えた日本語を学ぶ意味や効果への疑問が投げかけられたのです。
6年間にわたるプロジェクトは、多くの知見や後世に残る重要な研究成果を生み出しましたが、普及にまでは至らないまま幕を閉じました。野元が1993年に発表した資料では、野元自身の過去の論考が引用され次のように締めくくられています。
どんな日本語が十時間で教えられますか。外国語教育の第一歩は多少は自然でないことばで始めるのが自然であると思います。時間の十分ある外国人学習者や、それへの日本語教師、すでに十分な日本語能力のある外国人といった、エリートの批判のことばは、底辺切り捨て論ですので、わたしは賛成できません。そんなノンキなお節介はやめるべきでしょう。もっと切実な問題なのです。*8
野元の述べる「切実な問題」は、現在の日本の多言語・多文化社会においてより実感を伴った問題となっています。簡約日本語に寄せられた意見は、ことばと社会の関係を考える際に欠かせない視点を含んでいました。以下では、こうした出来事が今日の社会にどのような示唆をもたらすのかを考えます。
災害・教育・医療における展開
簡約日本語のプロジェクト終了から程なくして、日本語の平明化をめぐる議論が再び起こりました。その代表的な取り組みの一つが、1995年の阪神・淡路大震災を契機に提案された「やさしい日本語」です。災害時に外国人住民が情報を理解できず困難に直面したことを受け、弘前大学の佐藤和之らが提案しました。佐藤は後年受けたインタビューで、「『命を守る』言葉として開発を開始」と題し次のように回想しています*9。
研究を通じ、災害時に最も困難な状況に置かれるのは日本語も英語もわからない外国人であり、彼らに情報を伝えなければならない行政機関も対応に困っているということがわかりました。〔中略〕当初は外国人居住者に多言語で発信することを検討していましたが、最も困っている人は誰かという原点に立ち戻ったとき、それは日本語も英語も母国語ではないが、簡単な日本語ならばわかるという人々でした。そこで私たちは「日本語であるが、日本人が一番親しめる外国語でもある」というスタンスで「やさしい日本語」の開発に着手しました。
やさしい日本語はその後、自治体の生活情報や行政の広報、ニュース、観光案内に加え、医療や教育の現場にも広がり、外国につながる人々が安心して暮らすための基盤として、いっそう重要な役割を担うようになっています。
他方で、テレビ報道やSNSでは、やさしい日本語が日本語そのものに影響を与え、日本語の持つ魅力が損なわれるのではないかという懸念の声も見られます。これは、ある意味でかつての簡約日本語をめぐる議論とも通じる部分があります。過去から学ぶことのできる教訓の一つは、ことばを人工的に「改変」することと、相手や状況に応じて「工夫」することをまずは区別して考える必要があるという点です。実際、野元は簡約日本語について「日本人から見ればやや不自然ですが、これは第一のステップ。習熟に応じ、内容を高め、だんだん日本人の日本語に近づけるのです」*10と述べ、日本語そのものを変えるのではなく、あくまで学習段階の補助として用いるものであることを朝日新聞紙上で強調しています。この発言は、かつて「北風と太陽」に関する記事を執筆した記者が、社会に誤解を招いたことを受けて追加で発表した記事に掲載されたものです。
どれほど便利であっても、それが人々の言語体系そのものを改変するためのものと誤解されてしまうと、新たな困難や分断を引き起こしかねません。ことばは使われる地域の文化や人々のアイデンティティと深く結びついているため、「変える」となれば心配が生じるのも無理もないことなのです。また、日常の中で互いの気持ちを伝え合い理解し合う際に、感情豊かで繊細な表現を尊び、大切にしたいと願う想いも自然なことといえるでしょう。
多言語・多文化社会の未来を考えた時、日本語に「やさしさ」の視点を取り入れることで、最終的には日本語そのもののあり方に変化をもたらすことも今後議論されていくものと思います。ただ、この過程においても、先ほど述べた日本語話者が極めて多様であることを忘れてはならないでしょう。どちらか一方の立場から性急に改変を進めようとするのではなく、幅広い視野に立って、話者一人ひとりが主体的に考え取り組むことが重要です。
簡約日本語は、このような今日的な検討に重要な示唆を与える研究プロジェクトでした。そこで得られた知見は、場面や状況、対象に応じた分かりやすさの工夫、科学的アプローチの方法、ことばと社会の関係を考える上での大切な視点を提供しています。その集大成である『簡約日本語の創成と教材開発に関する研究』(国立国語研究所)には200ページを超える成果が収められており、科学的根拠に支えられた言語運用を考える上で今なお重要な資料となっています。

共創されるこれからのことば
今回は、簡約日本語をめぐる議論と、その後の「やさしい日本語」への展開を辿りました。言語の平易化は、日本語の本来性を損なうのではないかとの批判を呼び起こしながらも、多様な人々の共生を考えるうえで不可欠な基盤を形づくってきました。そこには、日本語と日本社会の国際化をめぐる模索があったことを見逃すことはできません。その後の「やさしい日本語」や共生社会の議論もまた、形は異なりつつも、この課題を確実に引き継いでいます。
多言語・多文化社会において、日本語がいかに運用されるべきかを考えるときは、その場面や状況を構成する人々全体に目を向けて、具体的な場面や状況、対象に応じて柔軟に工夫することが求められます。さらに、ことばとしての日本語そのもののあり方までを考える際には、個別具体的な事象や単一の立場に偏るのではなく、当事者全体の対話の中で、人々の生活や生き方に根ざすかたちで日本語が共創的に発展していくことが望まれます。その意味において、野元の構想とその過程で活発に討議された簡約日本語論は、現代の多文化共生社会に向けた一つの出発点であったといえるでしょう。

北海道釧路にて2002年撮影。〔野元満喜子・野元芳苗(2007)『追悼集ーヨハネの野元菊雄を偲んでー』より〕
野元菊雄(Kikuo Nomoto)1922年神奈川県横須賀市生まれ。麻布中学校、静岡高等学校を経て、1944年東京大学文学部言語学科卒業。1951年同大学院満期退学。連合軍総司令部(GHQ)民間情報教育部勤務を経て、1950年国立国語研究所入所。主任研究官、地方言語研究室長、第一研究部長、言語行動研究部長、日本語教育部長、日本語教育センター長を歴任し、1982年から1990年まで国立国語研究所所長を務めた。1963年ロンドン大学東洋アフリカ研究所講師、1969年サンパウロ大学教授、1971年ハワイ大学客員教授を務め、海外における日本語教育と日本語研究の発展にも尽力した。国立国語研究所所長在任中は、研究所の基盤整備、国際的連携、調査資料の拡充などを推進した。また、国語審議会委員、学術審議会専門委員、教育課程審議会臨時委員、国際交流基金委員、NHKインターナショナル委員、日本語教育学会会長、日本語能力検定協会理事なども歴任し、国内外における日本語教育普及と言語政策、言語生活研究の分野で先導的役割を果たした。主な著書に『日本人と日本語』(筑摩書房・1978)、『敬語を使いこなす』(講談社現代新書・1987)、『恥をかかない、TPO別敬語の使い方』(梧桐書院・1994)、『文章・会話辞典』(ぎょうせい・2001)、『仕事に必要なのは英語の前に敬語でしょ!』(稲村書院・2004)などがあり、言語生活の改善ややさしい日本語の源流ともなる平易な日本語表現の提唱にもつながった。1994年勲三等旭日中綬章を受章。2006年には天皇陛下より従四位が贈られた。日本語教育の国際的展開を主導し、日本語・日本語教育研究の礎を築いた功績は大きく後世に広範な影響を与えた。2006年没、享年83。 |
執筆/田中祐輔
筑波大学教授。主な著書に、『日本語で考えたくなる科学の問い』(編著・凡人社)、『上級日本語教材 日本がわかる、日本語がわかる』(編著・凡人社)、『現代中国の日本語教育史』(単著・国書刊行会)、などがある。主な受賞に、第32回大平正芳記念賞特別賞、2018年度日本語教育学会奨励賞、第一回岩佐賞、第14回キッズデザイン協議会会長賞、2023年度グッドデザイン賞、などがある。
*科学技術振興機構 researchmap:https://researchmap.jp/read0151200
*研究室: https://www.facebook.com/AGU.TANAKA.Lab
*1:写真中央が野元菊雄。向かって右隣は中曽根康弘元総理大臣。〔野元満喜子・野元芳苗(2007)『追悼集ーヨハネの野元菊雄を偲んでー』より〕
*2:国立国語研究所日本語教育センター第二研究室分室(1994)『簡約日本語の創成と教材開発に関する研究』国立国語研究所、p.1
*3: 朝日新聞社(1988)「外国人のための簡約日本語“発明”します」朝日新聞、1988年2月26日、19面
*4:朝日新聞社(1988)「外国人向け「簡約日本語」をつくる 野元菊雄さん_ひと」朝日新聞、1988年3月8日、3面
*5:朝日新聞社(1988)「『簡約日本語』づくりは疑問 論壇」、1988年3月11日、5面
*6:朝日新聞社(1988)「簡約日本語は外国人を侮辱(声)」、1988年3月3日、5面
*7:朝日新聞社(1988)「『簡約日本語』は理解の妨げ」、1988年6月28日、5面
*8:野元菊雄(1993)「『簡約日本語』への反対論」『文林』27巻、pp.101-127
*9:佐藤和之(2022)「やさしい日本語」から考える包摂社会 ことばを通し、互いを尊重する重要性」『先端教育』9月号
*10:朝日新聞社(1988)「外国人向け「簡約日本語」をつくる 野元菊雄さん_ひと」朝日新聞、1988年3月8日、3面



